巨人や米大リーグのヤンキースなどで活躍した松井秀喜さんは、現役引退の記者会見に臨んだ2012年暮れ、プロ20年間で最も心に残っている思い出を問われて「長嶋監督と2人で素振りをした時間」と即答した。日米通算507本塁打、09年の大リーグ・ワールドシリーズ最優秀選手(MVP)など輝かしい実績は、師弟のほかに誰も立ち入ることを許されない空間から生み出された。
松井さんが星稜高(石川)から巨人入りした1993年以降、シーズン中の素振り指導は東京ドームのミラールームで、遠征先のホテルの一室で余人を交えず、欠かすことなく続けられた。
長嶋監督は腕を組み、目を閉じてスイングの音を聞く。「違う。音が『ボワッ』としている」「今のはいい。音が『ピッ』としている」。目を開くと、「シルエットが違うぞ」。アドバイスは独特の表現。納得するまで素振りは終わらない。ようやくバットを置いて、シャワーを浴び、外食に出かけ、1品目に箸をつけたところで「思いついたことがあるから、もう少しやろう」と電話をもらい、松井さんが店を飛び出したことも一度や二度ではなかった。
長嶋監督の東京ドームでの勇退試合となった2001年9月30日、恒例の素振りで、松井さんの涙が止まらなくなった。「おいおい松井、そんなに泣くなよ」と苦笑する声に「すみません」と答えたものの、しゃくり上げながらバットを振った。長嶋監督は報道陣に「最後の60スイングでした。一番、迫力がありました」と話したが、後日、松井さんは「違うんだよ」と笑いながら打ち明けた。
「翌日、甲子園で1試合残ってたでしょ。何事もなかったかのように、宿舎で『さ、やるか!』と。『きのうの盛り上がりは何だったんだ』と首をかしげちゃったもん。ただね、うれしかった。『一人前にしてやろう』って常に考えてくださっているんだよね」
長嶋監督は「1分、休憩だ」と告げても、必ず10秒程度で「よし、振ってみろ」と松井さんをせかした。1992年秋のドラフト会議で松井さんの入団交渉権を引き当て、日記に「俺の使命は松井を、日本を代表するバッターに育てることだ」と書き留めて、育成のための「1000日計画」を打ち出した。自らに課した「ミスター・プロ野球」の使命は見事に果たされた。(編集委員 田中富士雄)