1989年6月4日に中国で発生した天安門事件から36年を迎えました。民主化を求める学生や市民が犠牲となったこの事件の節目に合わせ、東京都内で抗議集会が開かれ、犠牲者への追悼とともに、中国の現状への懸念が改めて表明されました。六四天安門事件は、中国共産党政権による武力鎮圧の象徴として記憶されています。
歴史的背景と事件の概要
天安門事件は、1989年4月に改革派の胡耀邦元総書記が死去したことを契機に、北京市の天安門広場に数多くの学生や市民が集まり、民主化や自由の拡大を求めて座り込みを行ったことから始まりました。これに対し、中国共産党政権はデモを「動乱」とみなし、同年6月3日夜から4日未明にかけて、動員された中国人民解放軍が無差別に発砲し、学生や市民を武力で鎮圧しました。当局発表の死者数は319人とされていますが、英国の外交文書は1万人以上と推計しており、犠牲者の正確な数は今なお不明です。
東京集会での声
3日夜には東京都文京区民センターで事件を抗議する集会が行われ、自由や民主、平等な社会を求めた中国人学生らに敬意を表し、犠牲者の冥福が祈られました。
中国人元学生の組織「民主中国陣線」日本支部の王戴氏は集会で、日本に滞在する多くの中国人について言及し、「やはり価値観がわれわれと違う。日本は歓迎しないだろう」と指摘しました。その上で、「志を同じくする民族が手をつないで共産党政権と一緒に戦おう」と述べ、中国社会に人権や自由などを根付かせることの必要性を強調しました。
モンゴル民族の自決権確立を目指す国際組織「世界南モンゴル会議」のショブチョード・テムチルト代表は、亡命先のドイツから来日し、集会に参加しました。「中国大陸が民主化すれば周縁で生活しているチベット人、モンゴル人、ウイグル人たちも自決権を得るチャンスが生まれる」と語り、中国本土の民主化と周辺民族の権利獲得との関連性について訴えました。
「世界南モンゴル会議」のショブチョード・テムチルト代表が天安門事件追悼集会で民族自決権について語る様子。東京都文京区にて。
事件後の日本の対応とその影響
天安門事件発生後、西側諸国は一斉に対中経済制裁を発動し、中国は外交的に孤立しました。この苦境から中国が国際社会に復帰する手助けをしたのが日本でした。日本はいち早く経済制裁の凍結解除に踏み切り、当時の海部俊樹首相は「中国の発展が世界の平和に役立つ」と各国を説得したとされています。海部氏は91年8月に西側主要国として事件後初めて訪中し、翌92年10月には天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫妻)が中国を訪問されるなど、中国側との関係改善が進められました。
集会後の記者会見で、王戴氏は当時の日本の対応を振り返り、「中国の政治に民主化を期待し、経済は発展した。ただ、政治改革はまったく行われず、中国共産党の一党独裁は強固になってしまった」と述べました。そして、「中国共産党に対して厳しい政策を実施しないとますます世界の脅威になる」と強く訴え、現在の中国共産党政権に対する厳しい対応を国際社会に求めました。
集会には、若い在日中国人の姿も見られ、「六四精神を引き継ぐ」と語る参加者もいました。
結論
天安門事件から36年が経過しましたが、中国国内の民主化や人権を巡る問題は依然として深刻です。今回の東京での集会は、事件の記憶を次世代に継承するとともに、中国共産党の一党独裁体制が続く現状への強い懸念、そして周辺民族の自決権への願いを改めて浮き彫りにしました。日本を含む国際社会が、中国の人権状況に対し、どのような立場を取り、行動していくのかが引き続き問われています。
Source: https://news.yahoo.co.jp/articles/f1e95f1e6564193efe8cf8130f3edf10621b90db