巨人軍終身名誉監督 長嶋茂雄さん死去、長男一茂氏の「父への複雑な思い」

プロ野球・巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄(ながしま・しげお)さんが、3日午前6時39分、肺炎のため都内の病院で亡くなられました。89歳でした。長男でタレントの長嶋一茂さん(59)は、過去にテレビ番組で、父・茂雄氏との関係や、プロ野球選手を目指したきっかけについて語っており、長嶋茂雄さんの訃報を受け、改めてその言葉が注目されています。

長嶋一茂氏が明かした「巨人への憎しみ」と野球再開の理由

一茂さんは、2022年11月20日放送の日本テレビ系トークバラエティー「おしゃれクリップ」に出演した際、自身の「間違いだらけの人生」の始まりとして、1980年に父・茂雄氏がプロ野球巨人軍の監督を解任された出来事を挙げました。当時中学生だった一茂さんは、「父本人は来年も続投へやる気満々で家を出たが、夕方のニュースを見たら『電撃解任』とテロップが出た」と、突然の報に衝撃を受けた様子を振り返りました。

巨人軍終身名誉監督 長嶋茂雄さん死去、長男一茂氏の「父への複雑な思い」

さらに、父が「全部自分のせいだ、優勝を逃したから辞めますと、自分から辞めていくみたいな言い方をした。大人のうそだよね」と、本心とは違う建前を語ったことに触れ、「おれはすごくジャイアンツを憎んだ」と強い憤りを表明しました。

一度やめていた野球を高校で再び始めたのも、この「父親を解任したジャイアンツ憎し」という思いからだったと告白。プロ野球選手になり、ジャイアンツに入団し、4番を打ってサヨナラホームランでジャイアンツの優勝が決まりました、みたいな時に俺はホームベースを踏まないでそのまま辞めて帰ろうと。そういうイメージを作って、よしプロ野球選手になろうと思った」と、具体的な復讐イメージを描いていたことを明かしました。

22歳でドラフト1位としてヤクルトに入団後、その後巨人へ移籍しました。

巨人では父・長嶋茂雄監督のもとでスタメンを勝ち取る時期もありましたが、父親から戦力外通告を受け、30歳で退団することになりました。「息子だから言いづらかったと思う。オブラートに包んで傷つけないように言われたのも悔しくて。気を使わないで、監督なんだから『辞めさせる』ときっちり言ってほしかったと当時は思った」と当時の複雑な心境を語る一方、「今にして思うと、やっぱり言えないなと分かる。親に、息子へ解雇通告させるのはよくないと。なんで言わせちゃったのかな」と、親の立場への理解も示しました。

長嶋茂雄さんの訃報に際し、長男一茂さんが明かしていた父との複雑な関係や、野球人生における葛藤の記憶が改めて呼び起こされています。

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