「愛車フェアレディZ」と26年ぶり再会へ 西日本豪雨で水没、教材経て

23歳の若さでこの世を去った息子が大切にしていた愛車「フェアレディZ」。その両親が20年にわたりガレージで保管していましたが、西日本豪雨の被害で水没してしまいます。それでも「整備士を目指す学生たちの教材に」と手放してから約6年が経った今月1日、忘れられない車との再会が待っていました。この一台の赤いスポーツカーが繋ぐ、親子と人々の温かい物語です。

息子が遺した真っ赤なフェアレディZ

今からおよそ30年前、岡山県倉敷市のご実家に帰省していた山本晃司さんは、当時23歳でした。「エンジンの調子が悪いから、しばらくガレージに置いといて」と、一台の赤い車を自宅に残していきました。それは、中古で購入したという鮮やかな真っ赤なフェアレディZ(S130型)。大学生活を送っていた四国から駐車場代を惜しみ、バイト代を貯めてようやく手に入れた念願の愛車でした。友人たちとこれから手を入れていく計画だったそうです。

しかし、1997年11月、高松市にある病院から一本の電話が入ります。「息子さんが事故で運ばれてきましたが、亡くなられました」。青信号で交差点を直進中、突然右折してきた対向車にはねられ、全身を強く打ったという痛ましい事故でした。父・晃さん(82)と母・富美枝さん(81)は、急いで病院に駆けつけました。息子さんの体は包帯で巻かれていましたが、顔は安らかで、まるで眠っているかのようだったと言います。

西日本豪雨で被災、整備学校へ

息子さんの突然の死後、晃さんと富美枝さんはガレージに置かれたままになっていた赤いZの手入れを続けました。定期的に丁寧に洗車してワックスをかけ、外れかけた部品は接着剤やビスで固定するなど、愛情を注ぎました。車内には、晃司さんの写真や、彼が生前愛用していたブーツやリュックなどを並べ、まるで息子がそこにいるかのように大切にしていました。

ところが、息子さんが亡くなってから約20年が経過した2018年7月、「西日本豪雨」が発生し、山本さん宅も大きな被害を受けます。河川の氾濫などにより、家屋の1階天井近くまで水没し、ガレージのフェアレディZも泥水に浸かってしまいました。自宅の復旧作業を手伝いに来てくれたボランティアの中に、自動車整備専門学校の学生がいました。水没したZを見て「いつか、こんなカッコイイ車をいじってみたいな」と話すのを聞き、晃さんと富美枝さんは決断しました。息子が愛したこの車を、次世代の自動車整備士を志す学生たちの「生きた教材」として役立ててもらおう、と。学校に申し入れたところ、「そのような素晴らしいお申し出であれば、ぜひ日産の専門学校へ」という紹介を受け、京都府久御山町にある「日産京都自動車大学校」へと託されることになったのです。

日産京都自動車大学校で愛車のフェアレディZと再会した山本さん夫妻日産京都自動車大学校で愛車のフェアレディZと再会した山本さん夫妻

息子さんの形見として大切にされてきたフェアレディZは、西日本豪雨による水没という困難を乗り越え、新たな役割を得て京都の専門学校へと引き取られました。両親の深い愛情と、若い整備士たちの学びたいという熱意によって繋がれたこの物語は、やがて感動の再会へと繋がっていきます。

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