幻に終わった上越新幹線「新宿乗り入れ」計画の全貌

都市開発が進む中で、人々の想像力を掻き立てる「幻の鉄路」や「未成線」の存在があります。特に東京の地下深くを走る都営大江戸線の新宿駅ホームが、地上から約37メートルという深さにあるのは、「幻の新幹線」計画と関係しているとも言われています。本稿では、かつて新宿駅への乗り入れが計画されながらも実現しなかった、上越新幹線の壮大な構想とその経緯を紐解きます。

1971年の新幹線基本計画と新宿駅の重要性

話は50年以上前に遡ります。1971年1月、国は「整備新幹線」の基本計画を策定しました。この計画には、東北新幹線、上越新幹線、成田新幹線が緊急性の高い路線として盛り込まれ、その起点は「東京駅」と「新宿駅」の2箇所と定められました。当時の公式記録集『上越新幹線工事誌(大宮・新潟間)』には、「東北新幹線のターミナルを東京駅に、上越新幹線のターミナルを新宿駅に設け、この両ターミナルより大宮駅に至る路線をそれぞれ建設し、大宮駅で両線を接続させる計画とした」と明記されており、上越新幹線が新宿を起点とする明確な意図が示されていました。

方針転換と「幻」への序曲

しかし、同年4月に決定された「整備計画」で、この壮大な構想は早くも転換点を迎えます。上越新幹線については、開業から当分の間は東京駅のみで対応可能であるとの判断が下され、大宮〜新宿間の新設は開業後数年をめどとすることが決定されたのです。この方針変更が、上越新幹線新宿乗り入れ計画が「幻の鉄路」となる序曲となりました。

国鉄幹部の構想と報じられた未来図

計画は棚上げされたものの、当時の国鉄幹部たちは国会などでこの構想について度々言及し、メディアもその動向を報じ続けました。朝日新聞(東京本社版)は1971年9月20日付の朝刊1面で、「将来、上越は新宿移転」という見出しを掲げ、「新宿貨物駅に上越新幹線ターミナルを移す構想」が存在し、「田端から新宿まで東北新幹線と分れて山手貨物線ルートで上越新幹線をいれることもできる」と具体的に報じています。

1982年開業の上越新幹線を走る200系1982年開業の上越新幹線を走る200系

大新宿駅構想と北陸新幹線

さらに1973年9月4日には、参議院運輸委員会において、磯崎叡(さとし)国鉄総裁が「国鉄新宿駅を、今後10年以内に新幹線も乗り入れる大型駅に根本的に改造する構想を持っている」と述べ、「大新宿駅構想」を打ち出しました。この時期には、北陸新幹線も新宿への乗り入れが予定されており、新宿駅が将来的に日本の主要な新幹線ターミナルとなる可能性が真剣に検討されていたことが伺えます。

上越新幹線が新宿駅に乗り入れるという計画は、最終的に実現することなく「幻の鉄路」として歴史の中に埋もれました。しかし、この未成線構想は、当時の日本の鉄道開発にかける情熱と、都市計画の壮大なビジョンを今に伝えています。新宿駅の深い地下ホームに立つ時、かつて描かれた新幹線の未来に思いを馳せるのも一興でしょう。