コメ不足と価格高騰が進む中、親米派とされる小泉進次郎農水大臣は備蓄米放出や外国産米の緊急輸入検討を示唆した。消費者寄り政策とされる中、生産者への影響が懸念されている。就農50年のベテラン米農家、染谷茂氏(千葉県柏市)に、その半世紀の経験と現在の厳しい現実、そして政策への見解を聞いた。
小泉進次郎農水大臣、コメ不足対策の現場から
半世紀前のコメ作りと「減反政策」の影響
千葉県柏市の株式会社柏染谷農場代表、染谷茂氏(75)は、流域面積が日本最大の利根川沿いで広大な150ヘクタールの田んぼを耕している。今年で就農50年を迎える染谷氏は、5代続いたコメ農家の生き証人だ。高校卒業後、3年ほど農業を経験したが、その頃近くに工業団地ができ、周囲の若い者もどんどん勤めに出始めた。そのタイミングで国による減反政策が始まり、「もう農業をやらなくていいのか」と感じた染谷氏は、バスの運転手に転職したという。会社勤めは3年半だったが、給料も月17万円ほどあり、何の不満もなかった。しかし、色々なことを考えた末、5代続いた農家の長男としての責任感から、農業に戻ることを決意したと振り返る。元々はわずか1.5ヘクタールの田んぼだった。
規模拡大の裏側と「400人の離農」
1.5ヘクタールという面積では、農業に戻る際に導入した機械の採算が取れなかった。そのため、染谷氏は積極的に作業請負をしたり、周囲の田んぼを借り入れたりした。これは、昔でいう小作農に近い形で、設備投資の返済に充てるための手段だった。周囲の農家は工業団地誕生とともに兼業化が進み、やがて離農者が続出するようになった。「貸してやるからやってくれ」という話から、そのうち「田んぼを持っててもしょうがないから買ってくれ」という依頼に変わっていったという。染谷氏の田んぼが現在の150ヘクタールまで拡大するまでに、一体何人のコメ農家が農業をやめていったのだろうか。その数は400人近くにも上るという。兼業が面倒になった人もいれば、収入面を理由にした人もいた。
農家の収入の変遷と「水飲み百姓」
染谷氏は高校生だった頃の農家の目標が「7桁台」、つまり年間数百万円の売り上げだったと語る。これは所得ではなく売り上げだ。一方で、バス会社を辞める頃の月給は約17万円で、年間では200万円以上あった。所得で比較すれば、運転手の方が良かったということになる。染谷氏は「昔から農家は大変だった。『水飲み百姓』という言葉があるぐらいだからな。食うものがないから水を飲んで空腹を満たすって意味だ」と、かつての厳しい状況を述懐する。半世紀にわたる苦労を経て、それが今はようやくいくらか利益が出るようになったというのが現状だという。
千葉県柏市、染谷茂氏が耕す150ヘクタールの広大な田んぼと大型農機具
50年にわたり、国の政策転換や社会構造の変化の中で、多くの農家が離農を余儀なくされる厳しい時代を生き抜いてきた染谷氏。「水飲み百姓」と呼ばれた時代を経て、ようやく経営が安定し始めた今、新たなコメ政策が現場にどのような波紋を広げるのか、その行方が注目される。