隠された「戦争神経症」:日本兵の心の傷と戦後の苦悩

手足のけいれんが止まらない日本兵を記録した映像は、戦場における極度のストレスが兵士の心身に与えた深刻な影響を物語っています。こうした心の病を抱えた兵士が多数存在し、戦後、彼らの苦悩が家族への暴力へと繋がっていたという衝撃の事実が、いま、家族たちの証言によって少しずつ明らかになり始めています。この記事では、戦場が兵士にもたらした精神的苦痛と、それが現代にまで及ぼす影響について深掘りします。(この記事には性虐待を受けた女性による詳しい体験談が含まれる可能性があり、読者の皆様にはご注意を促します。)

戦場の記憶が刻む心の傷:元兵士の告白と家族の証言

神戸市に暮らす画家、所薫子さん(72)は、父親の坂本正直さんが戦争体験を基に描いた絵を通じて、その壮絶な記憶を現代に伝えています。所さんの父、坂本正直さんは1937年から主に中国大陸で従軍し、物資輸送兵として南京に入城した際の記憶を語っています。彼の言葉からは、戦争がもたらす極限状態が兵士の精神をいかに蝕んでいったかが伺えます。

坂本さんは、「中国の兵隊の首切りを見たり、道路上の人間の死体が、2つか3つ中国人でしょうが、(車で踏みつぶされたのか)頭蓋骨がベターなって、歯だけがくっついてるわけですよ死体に。そういうの(死体)は神経が見慣れてるから、もうあんまり目に入らんわけですわ。荒れてるわけだから精神状態が」と証言しました。所薫子さんは、父親がこれらの絵を描くことで、戦争で負った心の傷、すなわち戦争PTSD(心的外傷後ストレス障害)のような症状と向き合い、自らの精神を保っていたのではないかと推察しています。

戦場の極度のストレスにより手足にけいれんが見られる日本兵の映像記録。戦争神経症の症状を示す兵士の様子。戦場の極度のストレスにより手足にけいれんが見られる日本兵の映像記録。戦争神経症の症状を示す兵士の様子。

所さんは、「ある意味、父は吐き出していたというか、絵を描くという行為があったからこそ、父はなんとか気がおかしくならずに済んだのでしょう」と語り、芸術が兵士の心の傷を癒す手段となり得た可能性を示唆しています。戦後、多くの元兵士が精神的な後遺症に苦しみ、それが家庭内暴力に繋がるケースも少なくありませんでした。これは、戦場の過酷な体験が、個人の精神だけでなく家族全体に深い影響を及ぼした現実の一端です。

隠蔽された「戦争神経症」:軍の沈黙と兵士たちの苦悩

戦争中に撮影された映像には、手足がけいれんする日本兵や、立ち上がることや歩くことが困難になった兵士の姿が記録されています。これは、兵士が戦場での極度のストレス体験から精神に異常をきたす「戦争神経症」を発症した典型的な事例です。当時の日本軍では、こうした精神的な症状を「恥ずべきもの」と捉え、その事実を徹底的に隠蔽しました。兵士たちの苦悩は公にされることなく、個人的な問題として扱われ、適切な治療や支援が提供されることは稀でした。

しかし、千葉県のとある病院には、当時の軍医たちが密かに保管していたカルテのコピーが、今もひっそりと残されています。これらのカルテは、公式には隠蔽された旧日本軍精神疾患の実態を生々しく物語っています。例えば、砲弾を足に受けた後、深刻な不眠症状に苦しんだ兵士についての記述には、「何ヲ質問スルモ『スミマセヌ』『スミマセヌ』『殺シテ呉レ』トイフ」「敵ガ迫ル声ガ聞コエルトイウ」といった言葉が残されています。

これらの記録は、兵士たちが耐えがたい精神的苦痛の中で生きていたことを示す貴重な証拠です。彼らは敵の幻聴に怯え、死を願うほどに追い詰められていました。軍による「戦争神経症」の隠蔽は、兵士個人の尊厳を傷つけ、彼らが戦後も孤立無援の状態で苦しみ続ける要因となりました。この歴史的真実を掘り起こし、語り継ぐことは、戦争の負の遺産を理解し、二度と繰り返さないための重要な一歩と言えるでしょう。

戦争がもたらす影響は、戦地の兵士に留まらず、その家族、そして社会全体に長期にわたる深い傷を残します。隠蔽された歴史に光を当てることは、過去の悲劇から学び、未来に向けてより健全な社会を築くために不可欠です。


参考文献