足立区某所で本誌の取材に応じた一人の老人、青山幸男氏。両手小指の第一関節から上が欠損し、Tシャツにキャップというラフな格好ながら、その眼光は鋭く、温和な口調の端々から緊迫感が伝わる。「私の経験、すべてお話ししますよ」と語り始めたのは、覚醒剤の元運び屋であり、住吉会系二次団体元幹部という異色の経歴を持つ77歳だ。全国指名手配され、インターポールにまで追われた彼が告白する半生は、日本の裏社会と国際的な薬物密輸の生々しい実態を浮き彫りにする。
元運び屋・青山幸男氏の軌跡
青山氏が関わった事件は、いくつかの点で社会の耳目を集めた。1998年当時、過去2番目の押収量となる300kgもの覚醒剤密輸未遂・所持容疑。そして、その「北朝鮮ルート」という背景。さらに、約10年間の逃亡生活を経て、時効成立のわずか3週間前に逮捕されるという劇的な結末を辿ったことだ。当時の末端価格で180億円相当とされるこの覚醒剤は、日本の薬物犯罪史においても特筆すべき事件となった。
2008年、青山氏には懲役15年の判決が下され、横浜刑務所に服役。長い刑期を経て、2023年11月に出所し、現在はカタギとして静かな日々を送っている。彼の経験は、単なる犯罪記録に留まらない。北朝鮮や台湾などでの覚醒剤製造の実情に精通し、かつてはフィリピンの島を貸し切って組織的な大麻製造・密輸をも試みたという。薬物犯罪のあらゆる現場を知る彼の証言は、今後の薬物対策や啓発活動においても貴重な示唆を与える可能性を秘めている。
北朝鮮ルートと国際薬物ネットワークの実態
青山氏は、「北朝鮮では軍の招待所でVIP待遇を受けた」と語る。彼によれば、北朝鮮にとって覚醒剤は外貨獲得のための「国策」であり、軍が製造に深く関与しているという。この証言は、長年囁かれてきた北朝鮮と薬物密輸の関係について、内部の人間からの具体的な裏付けを与えるものだ。「私ほど北の覚醒剤事情に詳しい日本人はいないのではないか」と自負する彼の言葉は、その経験の深さを示している。
薬物密輸の元運び屋・青山幸男氏。FRIDAYの取材に応じる様子。
300kgもの覚醒剤を密輸しようとした際に使用されたとされる北朝鮮の工作船は、現在、海上保安資料館に展示されている。この船は、事件の象徴として、また北朝鮮ルートによる犯罪が行われた証拠として、その存在を物語っている。青山氏の告白は、こうした国際的な闇のネットワークがいかに巧妙に構築されていたかを生々しく伝える。
北朝鮮からの覚醒剤密輸計画に使用された工作船。海上保安資料館に展示。
半生と”懺悔”の動機
青山氏の人生は、波乱に満ちていた。生まれ故郷は北海道・阿寒町雄別(現・釧路市)の炭鉱町。幼少期を過ごした後、埼玉県・草加市へ転居。中学卒業後、弟と共にヤクザの世界へ足を踏み入れた。17歳で内縁の妻と暮らし始めるも、組事務所での「部屋住み」という過酷な日々の中で、過労を紛らわすために覚醒剤に手を出してしまう。
22歳からは闇商売で生計を立て、恐喝やポーカー屋などでシノギを稼いだが、35歳を過ぎるまでは逮捕歴がないほど慎重だったという。しかし、傷害事件、そして2度の覚醒剤取締法違反で懲役を経験した後、彼の関心はさらに大きな、国際的なシノギへと向かうこととなる。42歳の時、国際基督教大学出身で多言語を操る弟分に呼ばれてタイへ渡航したことが、その後の人生の決定的な転機となった。バンコクで各国の裏稼業に繋がる企業と接触し、日本のヤクザという立場を活かして、北朝鮮、台湾、香港などの組織との人脈を築き上げていったのだ。
現在77歳となり、「心臓の手術もして、もう先は長くない」と自身の余命を悟っている青山氏。「懺悔」のため、そして自身の経験が薬物犯罪の実態を伝える一助となることを願い、全てを包み隠さず話す決意をしたという。彼の壮絶な半生は、薬物犯罪が個人、組織、そして国家までも巻き込む闇の深さを改めて我々に突きつける。
結びに
元運び屋・青山幸男氏の告白は、かつて彼が関わった日本と北朝鮮を結ぶ大規模な覚醒剤密輸の実態、国際的な薬物ネットワークの構造、そして彼自身の波乱に満ちた半生を明らかにした。77歳になり、過去の過ちと向き合う「懺悔」として語られたその言葉は、薬物犯罪の根深さと、その裏側で何が起きていたのかを知る上で極めて重要な証言である。彼の経験が、今後の薬物対策や社会への警鐘となることが期待される。
参照元
- 『FRIDAY』2025年6月6日・13日合併号
- Yahoo!ニュース(配信元:FRIDAYデジタル)
- 取材・文:栗田シメイ(ノンフィクションライター)