北朝鮮から2008年に日本へ逃れた看護師、李京姫さん(40)が、来日約16年を経て初めて実名で取材に応じました。かつて「地上の楽園」と宣伝された北朝鮮ですが、李さんを待ち受けていたのは、地獄のような監視と抑圧の社会でした。日本の「帰国事業」で北朝鮮に移住した両親を持つ李さんは、学生時代の言動を問題視され、衆人環視の中で「つるし上げ」を経験。脱北後、最愛の家族は最も劣悪とされる政治犯収容所に送られたといいます。
日本で暮らす北朝鮮からの脱北者、李京姫さん(2024年12月、関東地方)
絶望の「地上の楽園」へ:帰国事業の真実
李さんの家族のルーツは日本にあります。両親は日本の福岡県と大阪府で生まれ育ち、戦後の在日朝鮮人差別から逃れ、「地上の楽園」という宣伝を信じ、日本政府も関与した「帰国事業」で1960年代に北朝鮮へ渡りました。しかし、到着した彼らを待っていたのは「楽園」とはかけ離れた現実でした。多くの帰国者はその幻想を悟り、日本の親戚へ「絶対に来ては駄目だ」と密かに伝えました。
北朝鮮社会では、帰国者は「在日同胞」を略した「在胞(チェポ)」や、下駄の鼻緒を指す蔑称「チョッパリ」といった蔑称で呼ばれ、社会の最下層である「敵対階層」に置かれ激しい差別を受けました。李さんの母親も、幼少期の差別経験を悔しげに語っています。父は医師、母は専業主婦でしたが、生活は苦しく、日本の親戚からの援助が頼りでした。李さん自身は1984年に次女として生まれました。
「地上の楽園」を夢見て北朝鮮へ出発する帰国事業の船(1959年12月、新潟港)
密告と抑圧の日常:学生時代の「つるし上げ」体験
北朝鮮は徹底した監視社会であり、人々の言動は常に体制によって監視されています。李さんも例外ではありませんでした。学生時代、彼女の考え方や発言が問題視され、体制への忠誠が疑われたのです。
その結果、李さんは約500人の前で「つるし上げ」と呼ばれる公開の自己批判を強要されました。これは、個人の尊厳を奪い、見せしめとして他の人々に恐怖心を植え付けるための、北朝鮮当局による残酷な見せしめの一つです。この経験は、李さんに深い精神的な傷を残しました。
脱北、そして家族への過酷な代償
李さんが北朝鮮からの脱北を決行し、日本にたどり着いたのは2008年のことでした。来日して間もない同年11月、故郷の父(75)から最後の手紙が届きました。脳梗塞の後遺症で文字は歪んでいましたが、そこには、母と姉が「事故のため病院に入院して5カ月にもなりました」と書かれていました。
医療体制が劣悪な北朝鮮で長期入院は珍しく、李さんはすぐに、この「入院」という言葉が、秘密警察組織である国家安全保衛部(現国家保衛省)に拘束されたことを示す隠語であると察しました。
脱北した娘・京姫さんに宛てた北朝鮮の父からの最後の手紙(2024年12月)
その後、父、母(75)、姉(42)の家族3人全員が、「一度入ったら出られない」悪名高い耀徳収容所、北朝鮮国内で最も劣悪とされる政治犯収容所に送られた可能性が高いと判明しました。脱北した者だけでなく、残された家族にまで見せしめとして過酷な罰を与える連座制が、北朝鮮の現実なのです。
李京姫さんの告白が示すもの
日本で実名を明かし、自らの経験を語った脱北看護師、李京姫さんの証言は、「地上の楽園」という虚偽のスローガンの下に隠された北朝鮮の厳しく悲惨な実態を生々しく伝えています。希望を抱いて故郷を離れた脱北者だけでなく、残された家族にまで容赦ない弾圧が及ぶ現実があるのです。李さんの告白は、北朝鮮における深刻な人権問題と、国際社会がこの問題に継続的に関心を寄せ、行動を起こす必要性を改めて浮き彫りにしています。
出典
- 共同通信 北朝鮮問題取材班