地下芸人から這い上がり、今やお茶の間でも強烈なインパクトを残すピン芸人・チャンス大城氏。芸歴35年目にしてブレイクを果たした彼の壮絶な半生、そしてお笑いの道へ進むきっかけとなった出来事を、旧知の仲であるデザイナーMUNE氏が聞き出したインタビュー記事から、その核心をお伝えする。『R-1グランプリ2025』決勝進出、さらには『水曜日のダウンタウン』や『ラヴィット!』など人気番組への出演で注目を集めるチャンス大城氏だが、その道のりは決して平坦ではなかった。
芸人チャンス大城、ブレイク後の現在を語る
尼崎での幼少期:「サウザー」と呼ばれた日々
大城氏は、父親がブラジャーの金具工場で働く、特に裕福ではない家庭に育った。実家があった尼崎は治安が良いとは言えない地域だったという。幼少期にはクリスチャン・ネーム「アントゥニウス」を持ち、日曜のミサにも参加していたという意外な一面もあるが、裕福さとは無縁だった。心臓が右側にある「右心臓」だったことから、当時人気の漫画『北斗の拳』に登場する「サウザー」というあだ名で呼ばれていた。勝手に強いと思われ、近所の番長に喧嘩を売られるほど、地域は荒れていたという。
過去の壮絶な経験を語るチャンス大城氏
壮絶ないじめ体験:ミイラ男と呼ばれて
しかし、そんな環境にあっても、大城氏自身はわんぱくではなかった。小学生の頃はアトピー性皮膚炎がひどく、包帯を巻いて登校していたため、「ミイラマン」と呼ばれて絶えずいじめの標的にされていた。休み時間には掃除用ロッカーに閉じ込められ、いじめっ子のかけ声とともにそこから飛び出さなくてはならず、さらに当時好きだった女の子に触ってくるよう命令された。その通りにすると、女の子から悲鳴を上げられ、その時の絶望から屋上から飛び降りてしまおうかとまで考えたという。
絶望からの光:お笑いとの出会い
中学に進学してからもいじめは続き、強制的に盗みをさせられたり、上半身裸にブルマ姿で女子の更衣室に放り込まれたりと、毎日が苦痛だった。そんな様子を親が察したのか、「大阪のうめだ花月を観に行こう」と誘われたという。渋々ついて行った大城氏だったが、そこで見た間寛平氏や池乃めだかさんのネタに、毎日苦しんでいる自分自身がむちゃくちゃ笑っていることに気づき、衝撃を受けた。そして翌朝、湯船に浸かっていると窓から太陽の光が差し込み、湯気がシューッと上がったのを見た瞬間、「あ、俺もお笑いやろう」と決意したという。
絶望の淵にいた少年が、お笑いとの出会いによって見出した希望。この強烈な原体験が、現在のチャンス大城氏を形作る根幹となっている。