2025年6月7日から8日にかけ、中国海軍の航空母艦「遼寧」が日本の排他的経済水域(EEZ)内、具体的には南鳥島の南西約300キロの海域で航行し、艦載機やヘリコプターの発着艦訓練を実施した。これは中国の空母が南鳥島沖のEEZに進出した初めての事例であり、日本の防衛省は高い警戒を続けている。この動きは、中国の海洋戦略における重要な変化を示唆している。
活動の詳細と「遼寧」の軌跡
今回の活動では、「遼寧」に加え、ミサイル駆逐艦2隻と高速戦闘支援艦1隻を含む計4隻の艦艇が確認された。6月7日午後6時頃、これらの艦艇は南鳥島沖の日本のEEZ内を航行。翌8日には、南鳥島と硫黄島の中間点付近で、戦闘機およびヘリコプターの発着艦訓練を集中的に行った。海上自衛隊の護衛艦「はぐろ」が警戒監視にあたった。
中国空母「遼寧」は、5月下旬に沖縄周辺の東シナ海から太平洋に進出し、発着艦訓練を繰り返していた。その後、太平洋を南下し、今回南鳥島沖へ北上してきたと推定されている。
「遼寧」は、旧ソ連の空母を改修したもので、2012年9月に中国海軍初の空母として就役した。スキージャンプ式甲板を持ち、艦載機の運用能力には一定の制約があるものの、中国海軍の遠洋展開能力を大きく向上させている。近年、「遼寧」を含む中国海軍の活動は日本周辺で活発化しており、2024年9月には沖縄県の西表島と与那国島間の接続水域を通過し、2025年5月には尖閣諸島沖で発着艦訓練を実施している。
中国海軍の航空母艦「遼寧」
中国の戦略的狙い
中国が南鳥島沖という日本のEEZ内の遠隔海域で空母を展開させる背景には、複数の戦略的な狙いがあると考えられる。
第二列島線以東での作戦能力強化
中国は、九州・沖縄・台湾・フィリピンを結ぶ「第一列島線」と、小笠原諸島・グアム・パラオを結ぶ「第二列島線」を、自国の戦略的な防衛ラインと位置づけている。南鳥島は第二列島線よりもさらに東に位置しており、この海域での活動は、第二列島線以東における中国海軍の作戦能力を実際に試すとともに、その存在感を示すことを目的としている。特に、米軍の重要な拠点であるグアムやハワイへの接近を想定した訓練の一環として、空母の遠洋作戦能力を高める狙いがある。
米軍への牽制とA2/AD戦略の深化
空母打撃群の遠洋展開は、西太平洋で圧倒的な海軍力を有する米軍の空母艦隊に対抗する能力を構築しようとする中国の意思表示である。これは、「接近阻止・領域拒否(A2/AD)」戦略を深化させる動きと連動している。南鳥島沖での発着艦訓練は、空母の長距離航行能力と、そこからの艦載機運用の実効性を確認するための重要なステップであり、米軍に対する明確な牽制のメッセージとなる。中国は、対艦弾道ミサイルといった「空母キラー」兵器の開発も進めており、これらの兵器と空母の組み合わせによって米空母戦力を無力化する意図がうかがえる。
地域への影響力拡大と海洋秩序
南鳥島周辺は日本の最東端に位置し、太平洋における戦略的に重要な要衝である。この海域での中国の活動は、日本を含む同盟国に対する影響力を拡大しようとする意図を含んでいる。また、中国は沖ノ鳥島を「岩」であると主張し、その周辺の日本のEEZを認めていない。南鳥島沖での活動は、沖ノ鳥島周辺を含めた太平洋における「航行の自由」をアピールし、日本の海洋権益に対する挑戦という意味合いも含まれる可能性がある。
国内向けのアピール
さらに、中国国内向けの政治的なアピールも重要な側面である。空母の遠洋展開は、国家の軍事力強化と「海洋強国」のイメージを象徴するものとして、国営メディアを通じて広く宣伝される。2024年10月に「遼寧」と別の空母が南シナ海で共同訓練を行った際も大々的に報じられ、周辺国への牽制と同時に国民の愛国心を鼓舞した。南鳥島沖での活動も、同様に国内の支持を固める狙いがあると考えられる。
日本と国際社会への影響
中国空母「遼寧」の南鳥島沖への初進出は、日本にとって太平洋側での防衛態勢の強化を迫る事態である。海上自衛隊による警戒監視は不可欠であり、継続的な情報収集と即応態勢の構築が一層求められる。南鳥島は日本のEEZの範囲を示す上で重要な地点であり、領海を含めた広範な海域の防衛という観点からも監視体制の強化は急務である。
国際的には、今回の動きは日米同盟の抑止力が試される場面となる。中国の海洋活動がさらにエスカレートする場合、米軍の空母展開や日米共同訓練の頻度増加といった対応が予想される。また、中国の海洋進出は、南シナ海におけるフィリピンやベトナムといった周辺国との対立とも連動しており、東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国との間の緊張を高めるリスクを伴う。こうした状況下で、国際法に基づく海洋秩序の維持を国際社会全体で主張していくことの重要性が一層高まっている。
中国空母「遼寧」の南鳥島沖初進出は、第二列島線以東での作戦能力強化、米軍への牽制、地域への影響力拡大、そして国内向け政治的アピールという複合的な狙いを持つ、計算された動きである。日本は、引き続き日米同盟の枠組みの中で抑止力を強化しつつ、国際法に基づく平和的な海洋秩序の維持を粘り強く主張していく必要がある。中国の海洋戦略が今後さらに積極化する可能性を踏まえ、戦略的な冷静さと同時に、現実的な軍事的備えの両立が求められている。