現在、富山県で農業を営んでいる「軟式globe」のパークマンサー氏(47歳)が、2000年代に社会現象となった人気テレビ番組『学校へ行こう!』出演当時の驚くべきギャラ事情や、番組共演者であるV6との知られざる舞台裏について赤裸々に語った。これは、ABEMAエンタメの密着企画「NO MAKE」の取材で明らかになったものだ。かつて一世を風靡したカリスマの、意外な過去と現在が語られた。
EXILE HIRO氏の一言が芸能界入りのきっかけに
2002年に結成され、『学校へ行こう!』内の人気コーナー「B-RAP ハイスクール」でブレイクした「軟式globe」。その芸能界入りのきっかけは、意外な人物からの後押しだったという。パークマンサー氏は当時を振り返り、「ダンスの師匠がEXILE HIROさんの弟分だったんです。その方と一緒にダンスを教えていて、上戸彩ちゃんにもダンスを教えていました」と明かした。そんな中、「HIROさんの前で師匠のモノマネをしたらめちゃくちゃ笑ってくれて、『お前すげー面白いじゃん』って言われたんです」とのこと。HIRO氏の言葉に背中を押され、「おもしろダンスが生きる道かな」と考え始めていた頃、「B-RAP ハイスクール」のオーディションが始まったことを知る。「『お前にピッタリのコーナーが始まったよ』って言われて、ハガキを出したのがきっかけです」と語る。当時同じダンススクールの生徒だったKOIKE氏と共にオーディションに合格し、「軟式globe」が誕生した。
パークマンサー氏、『学校へ行こう!』出演時のギャラやV6との関係について語る
1回たった1万円!衝撃の番組出演料
一躍、時の人となった「軟式globe」だったが、当時の番組出演料は驚くほど低かったという。パークマンサー氏は苦笑いしながら、「1回(出演で)1万円しかもらってないんで、全然。全22回出て22万円か」とその実情を明かした。さらに、「尾崎豆の記事を見て、本当に納得いかないと思いました。なんであいつ3万円もらってるんだ、1回でって。何かギャラ交渉したとか言ってた」と、他の出演者との待遇差に感じた不満も吐露した。しかし、テレビの公式な収入は少なかったものの、「こっそりやった営業で1回200万円とかもらってた」そうで、アルバイト収入と合わせると「年収は400万円くらい」だったと告白した。
芸能界入りのきっかけやオーディションについて話す軟式globeパークマンサー氏
V6との間に存在した”階級差”と番組終了後の関係
軟式globeのパフォーマンスを審査していたのが、番組のメインMCを務めるV6のメンバーだった。彼らとの関係性について、パークマンサー氏は驚きの事実を語っている。「(V6との会話は)全くない。本当に、すごい王様と町民ぐらい格差があったんです」と、当時の厳しい“階級差”があったことを明かした。番組収録においては、「スタッフに『スタジオのカーテンの後ろに隠れてろ』って言われて隠れている間に、V6さんがモニタールームに入る。1回だけ見てくれるんですよV6さん。だから1回で決めなきゃいけない」という、一度きりのチャンスにかける大きなプレッシャーがあったという。「そのプレッシャーが4回目の出演くらいからすごくきて、だんだん1回で仕上がらなくなってきた。14回くらい撮り直した回もある」と、撮影の苦労を語った。
『学校へ行こう!』時代の低ギャラや収録の苦労を語るパークマンサー氏
番組終了後も、V6のメンバーとの交流はほとんどなかったとのこと。「1回だけ岡田くんとLINE電話で話をしたことがあって、それ以来、おいらは『准一』と呼んでいるんですけど」と笑いながら明かした。その際、岡田准一氏は「今、農家やってるんでしょ。富山いるんでしょ」とパークマンサー氏の現在の活動を知っていたそうだが、「富山に来てばかりだから、(農業を)長いことやってないし語れることもなく」と、会話は長く続かなかったようだ。他に、「1回、三宅くんのYouTubeに出るみたいな話があったけど流れちゃって…それくらい」と語り、現在もV6メンバーとの交流は限定的であることを明らかにした。
「感謝しかない」『学校へ行こう!』時代の経験を振り返る
現在、富山県で農業に専念しているパークマンサー氏だが、『学校へ行こう!』での経験については複雑な感情を抱いている。「めちゃくちゃ楽しかったし、めちゃくちゃきつかったし、めちゃくちゃいい思いさせてもらったし、感謝しかないですね」と、当時の日々を振り返った。
(ABEMA NEWSより)