国民民主党を揺るがした山尾志桜里氏「擁立→見送り→離党」の泥仕合

国民民主党は、元衆院議員・山尾志桜里氏(50)の参院選比例代表候補擁立を巡る混乱で「激震」に見舞われた。党首自身が招いたとされるこの「山尾ショック」は、有権者の同党への信頼を大きく損なったことは明らかだ。近年、政党支持率で立憲民主党を上回る勢いを見せていた国民民主党だが、不倫疑惑を抱える山尾氏を候補に擁立した途端、流れは一変した。この最初の判断ミスが全ての始まりだったと言える。

SNSなどでは国民民主党に対する批判が殺到し、支持率は急落した。候補者発表から1カ月近く経った6月10日、山尾氏はようやく出馬に関する記者会見を開き、「不倫の事実はない」と釈明したが、詳細については語らなかった。会見の翌日、国民民主党は直ちに山尾氏の公認見送りを決定した。この対応もまた、山尾氏にとっては厳しい仕打ちに映ったことだろう。山尾氏もこれに屈することなく、擁立劇の舞台裏を暴露し、国民民主党の玉木雄一郎代表らを批判して離党届を提出した。まさに「泥仕合」とも言えるこの一連の経緯を振り返る。

「即戦力」としての期待と不倫疑惑への批判継続

国民民主党が山尾氏を含む4人の参院選候補擁立を正式に発表したのは5月14日だった。しかし、それ以前に山尾氏の名前がメディアで報じられると、有権者からはSNS上で山尾氏に対する強い批判が相次ぎ、支援団体である連合からも擁立反対論が出ていた。

国民民主党を揺るがした山尾志桜里氏「擁立→見送り→離党」の泥仕合
国民民主党からの参院選比例代表候補擁立について釈明する山尾志桜里元衆院議員の記者会見。自身の不倫疑惑に言及。

4月24日に玉木代表にインタビューを行った際、私は山尾氏の擁立判断について尋ねたが、この時は「調整中です」との回答にとどまったため、この時点での記事化は見送った。結局、山尾氏擁立が正式発表された時にはいささか驚きを感じたが、後述するように、この後にはさらに驚くべき展開が待ち受けていた。

そもそも、なぜ玉木代表は山尾氏を参院選候補に選んだのだろうか。玉木代表は次のような理由を説明していた。「山尾さんはもともと2020年9月の(新国民民主党)結党時のチャーターメンバーだった。特に3カ月後にまとめた憲法改正の論点整理は、その後の憲法改正議論のベースになった。一方で論点整理にとどまっているので、アップデートしていく必要がある。世界情勢の大きな変化の中、自分の国は自分で守るという観点から、緊急事態条項、憲法9条など国家の根本を成す憲法議論をアップデートしたいというのが、彼女に期待する大きな要素だ」。玉木氏は、山尾氏の憲法を中心とした政策立案能力などを高く評価し、期待していたという。二人は2009年の当選同期でもあった。山尾氏は「保育園落ちた日本死ね」のブログを取り上げた国会質疑などで注目を集め、検事出身としての論戦力にも定評があった。若手議員が多い国民民主党にとって、即戦力として喉から手が出るほどほしい人材だったに違いない。

しかし、山尾氏の8年前の不倫疑惑に対するマイナスイメージと世論の反発は根強く残っており、参院選候補として名前が挙がった途端、国民民主党への批判はやまなかった。玉木代表自身も過去に自身の不倫問題が発覚した後、「3カ月の役職停止」処分を受けていた。党代表としての活動は一時控えたものの、国会議員としての活動は自粛しなかった。その間、YouTube番組で政策をアピールしたり、メディアのインタビューに積極的に応じたりしていたが、国民民主党の支持率が大きく下落することはなかった。この経験から、玉木代表は山尾氏の過去の不祥事も当初はたいしたことはないと軽く考えていたのではないかとの見方もできる。

国民民主党内には、既婚であることを隠して偽名で不倫していたとして党員資格停止処分を受けていた平岩征樹衆院議員がいた。党は5月14日に平岩氏の離党届受理を決めたばかりだった。山尾氏の候補擁立発表と同じ日であり、タイミングとしても極めて悪かったと言わざるを得ない。

混乱の波紋と党の行方

山尾氏の擁立見送りとその後の離党は、国民民主党にとって大きな痛手となった。参院選を目前に控える中での今回の騒動は、党の結束を乱し、有権者からの信頼回復をさらに困難にする可能性がある。政策課題への取り組みや将来的な政権構想よりも、過去のスキャンダルや内紛に注目が集まってしまう現状は、党にとって不本意なものだろう。今回の「泥仕合」が、今後の国民民主党の活動や支持率にどのような影響を及ぼすのか、その行方が注視される。

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