石田純一さん(71)は、「不倫は文化」発言(1996年)や都知事選出馬表明(2016年)など、これまで幾度となく世間を騒がせてきたタレントです。騒動が原因で番組降板を経験することもあった彼が、それでも逆境を乗り越え、メディアの世界に「不死鳥」のように復活し続けてこられたのはなぜでしょうか。本人にその秘訣を聞きました。
インタビューに応じるタレント・石田純一さんの肖像
都知事選出馬と損害賠償
2016年の都知事選出馬表明時、石田さんには出演番組やCMの差し替えにより数千万円の損害賠償金が発生すると言われました。結局、出馬は断念しましたが、この損害賠償はどうなったのでしょうか。「想定したなかでは、最小の金額で済みました」と石田さんは振り返ります。彼は自身の出馬表明について、「みんなを喜ばせたいというサービス精神から」と説明。アメリカで7年間過ごした経験から、有名人が政治思想を発信する文化に慣れており、日本の感覚とは異なると分析しています。
「不倫は文化」騒動との比較
過去の「不倫は文化」騒動後と、今回の都知事選騒動後。メディア露出激減の辛さを比較すると、石田さんは「どっちも別に辛くなかった」と答えます。もともと芸能の仕事にはアップダウンがあるものと捉えていたため、特別な辛さは感じなかったとのことです。
最高年収3億円も収入激減
バブル時代の最高年収は3億円にも達したと言われる石田さん。そこから収入がゼロ近くになる状況に落ち込みはなかったか?「売れているときも『こんなのがずっと続くわけない』と考えていました」と語る石田さん。父親からは「40超えてお金に困るのはよくない」と言われていたそうですが、自身は「基本的にお金には縁のない人間」だと自己分析します。
不死鳥のように復活する秘訣とは
幾度となく騒動でメディア露出が激減しながらも、何度も復活を遂げてきた石田さん。その秘訣を尋ねると、「計算しないってことなのかな」という答えが返ってきました。普通、お店を開けば知ってもらうのに苦労しますが、彼の場合は街で「焼肉屋さん頑張ってね!」と声をかけられるなど、自然と話題になることに驚くほど。この無頓着さが、結果的に復活に繋がると捉えているようです。
度重なる逆境に見舞われながらも、どこか達観した様子で自身のキャリアや金銭状況について語る石田純一さん。彼の「計算しない」という生き方こそが、予期せぬ形で人々の関心を引きつけ、結果として「不死鳥」のようなメディアでの復活を可能にしてきたのかもしれません。
参照元
文藝春秋 / Yahoo!ニュース
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