天皇ご一家、沖縄戦没者遺族との深い絆 新垣氏急逝に心痛

皇居・宮殿にて、天皇皇后両陛下、秋篠宮ご夫妻、そして愛子さまが、日本学士院賞の受賞者を招いた宮中茶会に出席されました。この茶会は6年ぶりの開催となり、愛子さまにとっては初めてのご出席でした。愛子さまは緊張される様子もなく、同席した研究者たちと笑顔で懇談されたと報じられています。しかし、宮内庁関係者によると、愛子さまのお心には深い悲しみが秘められていた可能性が指摘されています。

宮中茶会にご出席、愛子さま初の日本学士院賞茶会へ

6月10日に開催された日本学士院賞の宮中茶会は、優れた業績を上げた研究者を表彰する重要な行事です。コロナ禍を経て再開されたこの茶会に、愛子さまが初めて出席されました。皇室担当記者によると、愛子さまは初めての参加にもかかわらず、リラックスした様子で、同じテーブルの研究者たちに積極的に話しかけられていたといいます。これは、皇室の公式行事における愛子さまのご成長を示すものとして注目されました。

沖縄ご訪問での出会い:戦没者遺族との懇談

愛子さまがこのような公式行事に臨まれる中で、宮内庁関係者が言及したのが、その直前の沖縄ご訪問での出来事です。天皇ご一家は6月4日に国立沖縄戦没者墓苑を訪れ、ご供花とご拝礼を行った後、沖縄戦で犠牲となった方々の遺族と懇談されました。この懇談に参加されたお一人に、新垣生雄氏がおられました。ご一家は、新垣氏を含む遺族の方々から戦争体験や平和への思いについて直接話を聞かれました。

天皇ご一家が沖縄の「小桜の塔」で慰霊される様子、平和への祈り天皇ご一家が沖縄の「小桜の塔」で慰霊される様子、平和への祈り

新垣生雄氏との心温まる交流、そして急逝

懇談の中で、新垣生雄氏は、戦争で家族を失った深い悲しみは今も消えないこと、そして日本を含む全世界の平和のためにご一家がお力添えくださるよう切に願う思いを語られました。この新垣氏と天皇ご一家の心温まる交流は、メディアでも報じられました。特に、懇談後に愛子さまから「これからもお元気で頑張ってください」と声をかけられた新垣氏は、大変感激した様子だったといいます。

しかし、ご一家と懇談されたわずか翌日の6月5日、新垣生雄氏は急性循環不全のため85歳で逝去されたことが、8日になって報じられました。天皇ご一家は、お会いしたばかりの新垣氏の突然の訃報に触れ、深く心を痛められていると見受けられます。新垣氏のご不幸を受け、ご一家は侍従を通じてご遺族にお見舞いの言葉を伝えられたとのことです。

平和への思いを語り継いだ生涯

新垣生雄氏は、沖縄本島中部の読谷村で農業を営む傍ら、読谷村遺族会の会長を務めてこられました。地元紙記者によると、亡くなる当日も畑仕事に出かけられるほどお元気だったそうです。新垣氏は、3年前に遺族の戦争体験を集めた記念誌を発刊するなど、長年にわたり戦争の悲惨さと平和の尊さを次世代に語り継ぐ活動に尽力されてきました。その生涯は、沖縄戦の記憶を風化させず、平和への願いを強く持ち続けたものでした。

読谷村の悲しい歴史背景

新垣氏が暮らしていた読谷村一帯は、沖縄戦において特に激しい戦闘が行われた地域の一つです。1945年4月1日、米軍を中心とする連合国軍の地上部隊がこの海岸に上陸しました。その直前には、およそ200隻近い軍艦からの激しい艦砲射撃や、米軍機による容赦ない空爆にさらされました。さらに、多くの住民が避難していたガマ(自然の洞穴)では、追い詰められた人々が集団自決へと追いやられるという、非常に悲しい歴史があります。新垣氏の平和活動は、このような地域の歴史に根差したものでした。

天皇ご一家が、沖縄で戦争の悲劇を直接経験された遺族の方と心を交わされ、その方が直後に逝去されたという事実は、戦争がもたらす個人的な悲しみと、それが現代にも続いている現実を改めて浮き彫りにします。新垣生雄氏が生涯をかけて訴え続けた平和への願いは、天皇ご一家との交流を通して、改めて多くの人々に伝えられることとなりました。ご一家の深い悲しみと、平和への祈りは、新垣氏の遺志と共に今後も続くと考えられます。