一年365日、毎日が何かの記念日です。本日6月15日は、ホンダが英国ローバー社と共同開発した小型セダン「コンチェルト」が誕生した日です。ホンダは1980年代、英国のオースチン・ローバー社(後にローバー社へ改称)と技術提携を結び、その後積極的に共同開発を進めました。コンチェルトの誕生は、この国際的な提携関係から生まれた重要な成果の一つです。このシックな小型セダンは、「シビック」と「アコード」の中間に位置づけられ、日本市場に新たな風を吹き込む存在となりました。
ホンダ コンチェルト(1988年式)英国ローバーとの共同開発セダン
ホンダとローバー、緊密な提携が生んだ成果
ホンダとローバー社の関係は、1979年の技術提携合意に始まります。これはホンダにとって、欧州における四輪車生産への大きな一歩となりました。両社は1990年から1994年にかけては資本提携関係にもあり、この期間中に数多くの共同開発モデルやOEM供給車を世に送り出しました。
その代表的な例としては、ホンダのフラッグシップである「レジェンド」と共同開発された高級車「ローバー800シリーズ」(レジェンドは1985年、800シリーズは1987年発売)があります。また、アッパーミドルクラスの「ローバー600シリーズ」は、ホンダ「アコード」系の「アスコットイノーバ」をベースとして開発されました。小型車でありながら上級クラスに匹敵する質感を備えた「ローバー400シリーズ」は、今回紹介するコンチェルトの兄弟車にあたります。さらに、「ローバー200シリーズ」のベースとなったのは、ホンダの「バラード」でした。
1990年代の日本におけるRVブームに対応するため、ホンダはローバーから「ランドローバーディスカバリー」のOEM供給を受け、「クロスロード」として1993年から1998年まで販売したことも特筆されます。クロスロードはそのシャープなフォルムと優れた四輪駆動性能で、大ヒットとはならなかったものの、一定の人気を獲得しました。
英国テイスト溢れるホンダ・コンチェルトの誕生
1988年6月15日に発売されたホンダ「コンチェルト」は、先に述べたように英国ローバー社の「ローバー400シリーズ」とプラットフォームを共有する兄弟車として生まれました。ホンダのラインナップにおいては、「シビック」と「アコード」の中間を埋めるモデルとして投入されましたが、その最大の特徴は、英国車を思わせるシックで落ち着いた大人の雰囲気でした。
ボディタイプは、スタンダードな4ドアセダンに加え、実用性の高い5ドアセダン(ハッチバック)の2種類が用意されました。搭載されたエンジンは、4代目シビックにも採用されていた最高出力91psの1.5L直列4気筒SOHC、および105psまたはPGM仕様で120psを発揮する1.6L直列4気筒SOHCの計3種類です。これらのエンジンには、5速マニュアルトランスミッションまたは4速オートマチックトランスミッションが組み合わされました。駆動方式はFF(前輪駆動)が基本でしたが、4ドアセダンには先進的なフルタイム4WDシステムも設定されました。
上級グレードに採用されたこの4WDシステムは、「イントラック(INTRAC:INOVATIVE TRACTION CONTROL SYSTEM)」と呼ばれ、前後輪間だけでなく後輪左右間でも独立した駆動力配分を行うなど、当時の技術としては非常に先進的な機能が盛り込まれていました。
インテリアにおいては、小型車とは思えないロングホイールベースとワイドトレッドにより、広々とした室内空間を実現。さらに、本革風や木目風のドアライニング、センターコンソールなどが採用され、英国風の上質な雰囲気が巧みに演出されていました。
車両価格は、1.6Lエンジン搭載の標準グレードで4ドアセダンが142.5万円、5ドアセダンが138.0万円に設定されていました。当時の大学卒業者の初任給が約15.8万円程度(現在は約23万円)であったことを考えると、単純計算では現在の価値に換算して約207万円/201万円相当となり、その位置づけに見合った価格帯だったと言えます。
しかし、コンチェルトの兄弟車である欧州市場向けのローバー400シリーズは人気を博した一方で、日本のホンダ・コンチェルトは販売面で苦戦を強いられました。その人気は伸び悩んだまま、1992年9月に生産を終了することとなりました。
バブル期に苦戦したコンチェルト、そして独自開発のドマーニへ
コンチェルトの生産終了を受け、その後継モデルとして1992年11月に「ドマーニ」が発売されました。ドマーニは、コンチェルトとは異なり、ローバー社とは全く関係なくホンダが独自に開発した日本市場専用モデルでした。しかし、欧州市場も意識して開発されたコンチェルトのコンセプトを引き継いだため、ドマーニも実用性や快適性を重視したモデルとなりました。
ドマーニのベースとなったのは、5代目シビックのセダンモデルである「シビックフェリオ」で、ボディ骨格やパワートレインの多くを共有していました。スタイリングは、角型ヘッドライトとスラントノーズを採用した、オーソドックスで落ち着いたセダンスタイルでした。
パワートレインは、1.6L直列4気筒SOHC、そのVTEC仕様、そして1.8L直列4気筒DOHCの3種類のエンジンに、4速オートマチックトランスミッションまたは5速マニュアルトランスミッションが組み合わされました。駆動方式は基本FFでしたが、コンチェルトと同様にフルタイム4WDモデルも用意されていました。
ドマーニは、広い室内空間と快適な乗り心地、そして力強い走行性能を実現した小型セダンでしたが、コンチェルトと同様にやや地味な印象は拭えず、こちらも残念ながら大ヒットモデルとなることはありませんでした。
ホンダ「コンチェルト」は、小型車でありながらもシックで上品なセダンという、確かな魅力を備えたモデルでした。しかし、発売された1988年はバブル景気の真っただ中。当時の日本市場では、セダンに対しても高性能や多機能が求められ、より贅沢で見栄えのする派手なクルマがもてはやされる傾向にありました。そのような時代背景の中、コンチェルトのような正統派で落ち着いたセダンは、残念ながら主流から外れてしまったと言えるでしょう。
毎日が何かの記念日。今日という一日が、ホンダ・コンチェルトの誕生を振り返り、その歴史的意義と当時の時代背景を考える機会となれば幸いです。