廃棄物処理業の「ゴミ屋」偏見 社員の自己肯定感をどう育むか

岐阜で40年以上続く廃棄物処理業「名晃」の社長、峠テル子氏は、創業期に多くの自己肯定感の低い社員を抱えていた経験を持つ。あいさつすらしない社員に囲まれる中、彼女が考える人材育成術とは何か。この記事では、ゴミ処理業界への偏見と、社員の心の問題に向き合ってきた軌跡をたどる。

会社の設立と事業の展開

1970年に夫が立ち上げた大和清掃は順調に成長し、大和興業、そして大和エネルフへと発展した。夫の死後も事業は継続されている。一方、私が代表を務める名晃は、1981年に岐阜県安八郡で設立された。元々は夫の知人が始める予定だったが、途中で断念したため、私が引き継ぐことになった。会社の設立手続きは未知数だったが、過去の経験を活かし、必要な申請などを一手に引き受け、なんとか会社としてスタートを切ることができた。

「ゴミ屋」への根強い偏見

産業廃棄物業、いわゆる企業から出るゴミを集め処理する仕事は、今でこそエッセンシャルワーカーとして不可欠な存在と認識されつつある。しかし、昭和の時代には「下層の仕事」と見なされることが多かった。長男が幼い頃、「ゴミ屋はくさい」といじめられて帰ってきたことがある。収集車は毎日丁寧に清掃しているため実際には匂わないのだが、「ゴミ屋はくさい、汚い」という偏見は根強く、業界全体でイメージを変えていく必要があると感じている。

廃棄物処理業の社員がゴミ箱を扱う作業風景廃棄物処理業の社員がゴミ箱を扱う作業風景

自己肯定感の低い社員の育成課題

大和清掃を夫と二人で始めた後、社員を募集するようになり、主に私が採用と教育を担当した。日本経済が発展しホワイトカラー職が主流となる中、3K(きつい、汚い、危険)とされるゴミ処理の仕事に好んで就く人は少ない。それでもこの業界で働きたいという人は大歓迎だが、体力だけでなく読解力や人間力も重要だと考え、人材育成に注力し始めた。入社してくる社員の中には、「自分はとうとうゴミ屋になったのか」と内心自嘲している者もいた。ある社員は息子に「パパはゴミ屋だからくさい」と馬鹿にされたという。彼らはどこかやけになっており、わざと汚れた服装をしたり、首に汚れたタオルを巻いて歩き回ったりすることもあった。これは、自分の仕事や生き方を肯定できず、家族や周囲からも冷たい目で見られることで生まれる、圧倒的な自己肯定感の低さの表れだった。この行き場のないモヤモヤを抱えた社員たちを、どう教育し一人前に育てていけば良いのか、大きな課題だと感じている。

名晃の峠社長は、長年にわたり廃棄物処理業における根強い社会的な偏見、そしてそれに起因する社員の自己肯定感の低さという二重の課題に直面してきた。業界全体のイメージ向上に加え、自身の仕事や存在を肯定できない社員たちの心に寄り添い、どのように彼らを育成していくかが、今後の重要なテーマとなっている。

出典:峠テル子『ゴミに「ご苦労様でした!」感謝の心で育む人的資本経営』(PHP研究所)より抜粋・編集。