いま、シリコンバレーをはじめとする世界のビジネスリーダーや思想家の間で、「ストイシズム」(ストア哲学)の教えが改めて注目を集めています。困難な時代を生き抜く知恵として、その実践的な哲学が現代社会にも深く響いているのです。日本においても、この哲学を人生に活かすための指針となる書籍が刊行され、関心が高まっています。本記事では、ストイシズムが説く「運命」や「幸運」についての考え方に焦点を当て、日本の歴史上の人物である高橋是清の生涯を例に挙げながら、運は偶然ではなく、自らの内面や行動によってコントロール可能であるという視点を探ります。
波乱万丈を乗り越えた高橋是清の「運のいい人」伝説
日本の近代史において、日銀総裁や総理大臣、そして異例の7度にわたる大蔵大臣就任という輝かしい経歴を持つ高橋是清。彼はその成功の陰で、想像を絶するような苦難や失敗を経験しています。
彼の人生は幼少期から波乱に満ちていました。特に衝撃的なのは、14歳でアメリカに留学した際に、ホームステイ先で騙され、事実上の奴隷として売り飛ばされてしまったという出来事です。労働を強いられる日々の中で、自身が奴隷契約を結ばされていたことに気づいたときの絶望は、いかばかりだったでしょう。しかし、彼は持ち前の愛嬌と機転で困難を乗り越え、なんとか契約を破棄して帰国を果たします。
帰国後の日本は明治維新の激動期であり、職を転々としながらも、彼は数々の失敗を重ねます。30代には、ペルーの鉱山経営に乗り出すも、それが価値のない「くず山」であったことが判明し、莫大な借金を背負うことになりました。多くの人であれば、「自分はなんて運が悪いのだ」と嘆き、意気消沈してしまうような出来事です。
しかし、高橋是清はどんな逆境にあっても、決して前向きな姿勢を崩しませんでした。彼は常に「いつかよい運がめぐってくる」と強く信じていたのです。この揺るぎない信念の原点は、5歳の頃に道で馬に踏まれたにもかかわらず、奇跡的に無傷だったことから「なんて運のいい子だ」と周囲に評判になり、彼自身もそれを信じ込むようになった経験にあると言われています。
この「自分は運がいい」というポジティブな自己認識が、彼のその後の人生を切り開く鍵となりました。前向きで明るい彼の周りには、自然と人やチャンスが集まり、それを次々とものにしていくことで、ついには日本の財政再建という国家的な難題までも成し遂げる人物となったのです。
自己の精神と向き合う現代人のイメージ ストイシズムの概念
「運」は偶然か、それともコントロール可能か?
高橋是清の生涯は、「自分は運がいい」と信じることの強力な効果を示唆しています。この考え方を持つ人は、目の前の出来事を単なる偶然として受け流すのではなく、そこに潜むチャンスを見出し、積極的に掴み取ろうとします。物事の良い側面に感謝し、たとえ悪いことが起きても「この経験が必ず自分を強くし、次に繋がるはずだ」「この後には必ず良いことが待っている」と建設的に捉えることができるのです。
こうした前向きでレジリエンス(回復力)のある心持ちこそが、結果として良い状況や人々、機会を引き寄せる原動力となるのではないでしょうか。そう考えると、「運」とは、棚からぼた餅のように降ってくる偶然の産物ではなく、自らの思考や行動、そして内面のあり方によってある程度コントロール、あるいは「育む」ことが可能なものだという視点が見えてきます。少なくとも、「自分は運が良い」と考えて積極的に行動するか、「自分は運が悪い」と悲観して後ろ向きになるかは、完全に自分自身の選択にかかっています。
ストア哲学が説く「自分に与える幸運」
古代ギリシャに端を発し、ローマ帝国時代に隆盛を極めたストア哲学(ストイシズム)においても、運命や幸運に対する深い考察がなされています。ストア派の賢人たちは、外的な出来事(私たちにコントロールできないこと)ではなく、私たちの内面(思考、判断、感情)こそが幸福や不幸を決定すると教えました。そして、彼らにとっての「幸運」とは、私たちが一般的に考えるような宝くじに当たる、成功する、といった外部的な出来事とは大きく異なるものでした。
ストア派の哲学者であり、ローマ皇帝でもあったマルクス・アウレリウスは、その著書『自省録』の中で、幸運についてこのように述べています。
「幸運だ」というのは自分で自分によい運を与えたという意味で、よい運とは、魂のよい性質、よい感情、よい行動のことだ。(マルクス・アウレリウス『自省録』)
この言葉は非常にシンプルですが、力強い洞察を含んでいます。一般的に「運」は自分ではどうすることもできないもの、天から与えられるものと思われがちです。しかし、マルクス・アウレリウスは、真の幸運とは外部から来るものではなく、自らの内面の質、すなわち魂の良い性質、正しい感情、そして徳に基づいた良い行動そのものであると説いています。
つまり、ストア哲学における幸運は、単に待つものではなく、日々の自己修練と賢明な選択によって自らの内側に築き上げていくものなのです。「自分は運がいい」と前向きに考え、困難な状況でも理性的に対処し、他者に対して善行を積む。こうした姿勢そのものが、すでに自分自身に最も価値のある「幸運」をもたらしている、とストア哲学は教えています。
高橋是清がその波乱の人生で「自分は運がいい」と信じ続け、困難を乗り越えていった姿は、奇しくもストア哲学が説く、内なる精神と行動こそが真の幸運を形作るという教えを体現していたと言えるかもしれません。「運」を単なる偶然に委ねるのではなく、自らの思考と行動によって積極的に良い運を育てていく。このストア哲学的な視点は、予測不可能な現代社会を生きる私たちにとっても、困難に立ち向かい、自己の可能性を最大限に引き出すための重要な示唆を与えてくれるでしょう。
参考文献:
- ブリタニー・ポラット著 『STOIC 人生の教科書ストイシズム』 花塚恵訳 (ダイヤモンド社)
- マルクス・アウレリウス著 『自省録』