「昭和30年代と書かれている写真を見ると、2階の下の方の壁にシミのようなものが見えている。もしかすると、一般的な築10年よりは少し劣化が進んでいるのかなということも想定している」
来年3月に東京都豊島区南長崎でオープンする「トキワ荘マンガミュージアム」では、昭和27年竣工、57年取り壊しの「トキワ荘」の歴史の中で、「築10年」の状態の再現を目指している。石ノ森章太郎、赤塚不二夫ら後に巨匠となる若者がともに暮らした「梁山泊(りょうざんぱく)」の時代に近いからだ。ただ、冒頭の建築設計検討会議初会合(平成29年7月7日)の記録のように、「築10年」の再現は手探りだった。
ところで、「築30年」なら誰より詳しい人がいる。取り壊し直前の昭和56年に入居したイラストレーター、向さすけさん(57)だ。当時、トキワ荘はまぎれもなく「聖地」だった。
「2階で寝ていると、下の方から声がして、ガイドが『ここが伝説のトキワ荘です』みたいに話しているんです。アニメや漫画の専門学校のツアーコースに組み込まれていたようです」
この年に高校を卒業した向さんは、NHKがトキワ荘を特集した番組を見てアパートが現存していることを知り、「少しでいいから住まわせてください」と大家に頼み込んだ。愛読していた藤子不二雄(A)さんの立志伝「まんが道」の舞台が、自分の部屋になった。
「最初の何日かは、興奮で眠れませんでした(笑)。カビ臭いんですけどね。昔のままでした」
寺田ヒロオの部屋には近所の美容師が住んでおり、向さんの友人も遅れて入居した。炊事場とトイレは共同で、家賃は1万円。「自炊は初めてだったので、『まんが道』に出てくる料理やチューダー(焼酎のソーダ割り)などをみんな再現してみた」と笑う。
それからさらに40年近くが過ぎた今、向さんが撮ったトキワ荘の写真が、ミュージアムの設計に大いに役立っている。ただ、趣味の写真はモノクロがほとんどで、「もっとカラーで撮っておけばよかった」と向さん。もちろん、最晩年のトキワ荘と築10年とでは、手すりなど姿が違う。色も違うだろう。細部は元住人の漫画家や、地域の人の記憶を頼るしかない。
向さんによると、取り壊しの前に、保存を求める動きはあったという。「再現するぐらいなら、なぜ当時のまま残せなかったのかと惜しむ声は多い」と話す。かつて住んだ「聖地」。そして帰ってくる「聖地」に、「トキワ荘は戦後漫画の礎であり、そのシンボルになってほしい」と期待している。