トランプ前アメリカ大統領は、iPhoneの生産を米国内に戻すことを主張し、その手段としてiPhoneの輸入に関税を課す考えを示している。これはアメリカ国内の雇用と所得を増やし、製造業を復活させるためだという。しかし、この考えは現代のグローバル経済の実態を全く反映しておらず、極めて破壊的である。もし実行されれば、アメリカの豊かさを大きく損なう可能性が高い。iPhoneの価値がどのように生み出されるかを付加価値の視点から分析すると、その理由が明らかになる。
iPhoneの価値はどこで生まれる?グローバル・バリューチェーンの構造
iPhoneという製品が持つ価値は、いくつかの段階を経て生み出される。まず、Apple本社での設計段階だ。特に重要なのは、iPhoneの頭脳とも言えるロジック半導体の設計であり、このプロセスはアメリカで行われる(付加価値VA)。次に、その設計に基づき、台湾のTSMCのような半導体受託製造会社(ファウンドリー)が半導体を製造する(付加価値VS)。さらに、カメラやメモリなど様々な部品が日本や韓国を含む世界中の国々で生産される(付加価値VJ)。そして最後に、台湾のホンハイなどの受託製造企業が、これらの半導体や部品を用いて中国などの工場で最終製品として組み立てる(付加価値VC)。したがって、完成したiPhoneの総価値(VT)は、VA+VS+VJ+VCの合計となる。完成したiPhoneは、アメリカなどの各国に輸出される。全輸出中のアメリカの比重をαとすれば、アメリカはα×VTの価値のiPhoneを中国などから輸入していることになる。
iPhoneのグローバル生産プロセスにおける主要拠点を示すイメージ。付加価値分散の概念に関連。
付加価値の大部分は設計と半導体製造段階で生まれる
では、この総価値VTの中で、各段階の付加価値はどの程度の比重を占めているのだろうか。ある研究(注)によれば、驚くべき実態が明らかになっている。(1) 中国からアメリカへ輸出されるiPhoneのうち、実際に中国で生み出された付加価値VCは、総価値VTの4%未満にすぎない。(2) 一方、アメリカが設計段階で生み出す付加価値VAは、iPhoneの販売価格の30%以上を占めるにもかかわらず、これは現在の国際収支統計では貿易黒字として計上されていない。他の実証分析でも同様の結果が出ており、VAの比率が3割から4割であるのに対し、VCの比率は数%に過ぎないという点が広く確認されている。このデータは、いわゆる「ファブレス製造業」の実態、つまり設計などの知的活動が付加価値の大部分を生み出す構造を浮き彫りにしている。
組み立て工程の価値はわずか:企業価値から見る実態
Appleがアメリカ国内で創造している価値が極めて巨大であることは、同社の時価総額からも推測できる。Appleの時価総額は約2.9兆ドル(2025年6月中旬時点)であり、これは日本のプライム市場の時価総額合計の約44%に相当する。また、Appleの設計した高性能半導体を製造する台湾のTSMCの時価総額も約1.1兆ドルと非常に大きい。これは、半導体製造という作業が高度な技術と専門知識を要することを反映している。これに対し、中国やインドなどで行われる最終組み立て工程は、製品の完成に不可欠ではあるものの、半導体の設計や製造に比べれば難度は高くない。普通の組み立て工員でも、一定の訓練を積めば行えるレベルであり、この段階での付加価値が相対的に小さくなるのは当然と言える。そのため、仮にiPhoneの最終組み立て工程をアメリカに移転したとしても、アメリカ国内で増える付加価値(労働者の賃金や企業利益など)は、iPhoneの価値の数%分に留まり、経済全体への影響は限定的だろう。これは貿易赤字削減という観点から見ても、期待される効果は極めて小さいことを意味する。
関税による生産プロセス破壊がもたらす甚大な損失
にもかかわらず、もしiPhoneの輸入に高率関税を課すなどして、現在の精緻なグローバル生産プロセスを意図的に破壊しようとすれば、iPhoneの付加価値を生み出す一連の活動全体が成り立たなくなる可能性がある。これは、Appleという企業自体の存続を脅かすほどの事態を招きかねない。付加価値の大部分を生み出している設計や高度な部品製造といった工程は、最終組み立てなしには製品として完成しない。サプライチェーン全体が interdependent(相互依存的)であるため、一部を無理やり分断しようとすれば、全体の機能が停止するリスクがあるのだ。このような事態となれば、アメリカが享受している設計段階での大きな付加価値も失われることになり、アメリカ経済にとって、計り知れない損失となるだろう。
結論として、トランプ氏が主張するようなiPhoneへの高関税や生産の米国内移転は、現代の「ファブレス製造業」やグローバルに分業された高度な付加価値生産の実態を根本的に誤解している。最終組み立てという付加価値の小さい工程に注目し、関税で全体を破壊しようとすることは、付加価値の大部分を生み出している設計や技術といったアメリカの強みを自ら損なう行為に他ならない。このような政策は、アメリカ経済に貢献するどころか、その競争力と豊かさを大きく後退させる危険性を孕んでいる。国際収支統計が現代経済の実態を反映していないことも問題だが、それを理由に非現実的な政策を行うことは避けるべきだ。
(注) Xing, Yuqing and Detert, Neal (2010). “How the iPhone Widens the United States Trade Deficit with the People’s Republic of China”. Asian Development Bank Institute Working Paper Series, No. 257