なぜ駅そばは姿を消すのか?相次ぐ閉店の背景を探る

日本の主要駅で長年親しまれてきた「駅そば」の閉店が相次いでいる。数十年にわたり当たり前のように存在した老舗が姿を消すケースも目立つ。2025年5月11日には、中央本線・中津川駅(岐阜県)で1978年の開業以来、半世紀近く営業を続けた「根の上そば」が閉店した。この告知はSNSで広く拡散され、最終日には多くのファンが見守る中でその歴史に幕を下ろした。根の上そばは、数ある駅そば店の中でも特に「昔ながらのオーソドックスなスタイル」を代表する存在だった。

駅そばの店舗は、改札内、ホーム上、あるいは改札外の待合室や駅建物内など、立地は様々だ。中津川駅の根の上そばのように、改札内ホーム側と改札外待合室側の両方に立ち食いカウンターを持つ店舗は、中央本線・塩尻駅(長野県)や山陽本線・加古川駅(兵庫県)など、現在も一部で見られる形態である。中津川駅は名古屋方面と松本方面を結ぶ普通列車の接続駅であり、ホーム側のカウンターでは短い乗り換え時間を利用して素早く食事を済ませる利用者が多かった。一方、待合室側は列車待ちの人々だけでなく、近隣住民や駅員も昼食で訪れていた。根の上そばでは地酒なども扱っており、そば出汁を肴に一杯楽しむ常連客もいたという。都市圏の駅ではそばの提供だけで十分に商売が成り立つことが多いが、地方の駅そばは、乗り換え客、駅周辺の住民、鉄道関係者が手軽で安価に食事できる場所として重宝されてきた。それぞれの地域に根差したスタイルで長く営業してきたこれらの駅そばが、なぜ全国各地で閉店の憂き目を見ているのだろうか。

惜しまれつつ閉店した中津川駅の根の上そば。昔ながらの立ち食いカウンターが見える惜しまれつつ閉店した中津川駅の根の上そば。昔ながらの立ち食いカウンターが見える

数々の名店が消えていった背景にあるもの

かつて本州と四国を結ぶ主要ルートであった宇高連絡船(岡山県・宇野港〜香川県・高松港)と鉄道の乗り換え拠点だった高松駅(香川県)には、構内の立ち食いうどん店が2軒あり、最盛期には1日5000杯を売り上げるほどの人気を誇っていた。しかし、1988年の瀬戸大橋開業により連絡船は廃止され、橋を経由する特急列車が高松駅を素通りして岡山に向かうようになったことで、この駅での乗り換え需要とそれに伴ううどん店の需要は激減した。さらに、かつて駅での飲食物提供が駅弁や駅そばに限られていた時代と異なり、現在の高松駅周辺にはコンビニエンスストアや他の飲食店が無数に存在する。こうした外部の競争相手が増加し、駅そば・駅うどんが選ばれにくくなったことは、全国の駅そば店が共通して抱える問題と言える。高松駅で駅改装後も最後まで改札内に残っていた立ち食いうどん店「連絡船うどん」も、惜しまれつつ2021年に閉店した。

鉄道の路線廃止によって、駅そのものと運命を共にする形で閉店に至る駅そばもある。北海道の留萌本線にある「留萌駅立喰そば」は、2023年3月の路線一部廃止(石狩沼田駅〜留萌駅間)により駅が廃止されたため、その歴史を終えた。たとえ地元で愛される人気店であっても、鉄道敷地内で営業している以上、路線の廃止には抗えない現実がある。

また、地元業者が小規模に経営する駅そば店では「店主の高齢化」が閉店の大きな要因となるケースが多い。近年では、独自の「黒そば」で知られた宗谷本線・音威子府駅の「常盤軒」が2021年に、士別駅の「フードサービスささき」が2024年に、高齢の店主が亡くなったことにより営業継続が困難となり閉店した。前述の中津川駅「根の上そば」も、経営者の体調不良が理由とされており、駅弁販売を含めると120年以上に及ぶという長い歴史に幕を下ろす決断がなされた。

こうした様々な要因が複合的に絡み合い、日本の駅そばは次々とその灯を消している。地域に根差した文化や、人々の日常の風景が一つまた一つと失われつつある現状は、単なる飲食店の閉店というだけでなく、社会的な変化の一端を示していると言えるだろう。

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