数年前、「自動車はいずれバッテリー電気自動車(BEV)だけになる」と言われていた。しかし、現在の状況は大きく異なっている。格付け・金融情報サービス大手の米S&Pが最近発表した予測では、「BEVの世界販売台数は2027年に純粋な内燃機関(ICV)車を追い抜く」、「ハイブリッド車(HEV)の世界販売台数は2028年がピークになる」とされている。このS&Pの予測は、他の多くの市場調査会社や政府機関の見通しと比較すると、かなりBEV寄り、すなわち楽観的だ。その背景と現実的な市場動向を専門的な視点から分析する。
S&PのBEV普及予測は、他の機関の見通しと乖離がある。ブルームバーグNEF、IEA(国際エネルギー機関)、BCG(ボストン・コンサルティング・グループ)、EEI(エジソン電気協会)、野村総合研究所、みずほリサーチ&テクノロジーズなど、多くの機関が発表するパワートレイン(駆動方式)別販売予測の平均値を見ると、2027年にBEVがICVを追い抜くというシナリオは「可能性が極めて低い」という結論に至る。
多くの予測では、BEVがICVの世界販売台数を上回るのは「2030年前後」とされており、中でも「2029年」よりも「2031年」という予測が多い。S&P予測の2027年というタイミングは、2024年のBEV世界販売実績が1000万台強であることを考えると、そこからわずか3年間で年間3000万台規模に達する必要がある。これは、2024年の3倍もの販売体制を短期間で構築することを意味し、現状では極めて非現実的と言わざるを得ない。欧州や米国では、主要自動車メーカー(OEM)がBEV生産規模の縮小や新型モデル投入の延期を発表するなど、様子見の姿勢に入っているのが現状だ。
欧州では今年に入りBEV販売台数が伸びているが、その主要因は企業の脱炭素活動報告義務付けであるCSRD(企業サステナビリティ報告指令)の導入にある。これは個人需要ではなく、企業向けの社用車(フリート)としてのリース需要が増加した結果であり、持続的な個人需要の拡大を示すものではない。
一方で、電動機構を一切持たないICVの販売が減少していくという点では、どの予測も一致している。しかし、その減少分をHEVが吸収するのか、それとも外部充電可能なプラグイン・ハイブリッド車(PHEV)とBEVが吸収するのかという点で、各社の予測は分かれている。
予測の「現実味」を欠くS&Pの見通し
筆者がS&PのBEV需要予測を「楽観的すぎる」と見る理由にはいくつかの要因がある。まず、S&Pという組織は信用格付け、株式指数、金融経済、エネルギー・原材料・商品など複数の部門に分かれており、どの部門が予測を行ったか、また担当者によっても予測の傾向が変わる可能性がある。
S&Pは自動車市場調査で実績のあるIHSマークイットを買収し、S&Pグローバル・モビリティを設立した。この部門は通常、OEMへの詳細なヒアリングや将来のモデル計画に基づいた緻密な販売台数予測を行うため、過去の予測は比較的現実的で「大外し」することは少なかった。しかし、今回の予測はS&Pグローバル・モビリティのものとしては疑問符が付く。
充電ステーションで充電中のボルボC40とXC40(BEV)
環境要因や持続可能性の観点から分析するESG部門や、企業の信用格付けに関わる市場リスクや財務見通しを分析するS&Pレーティングスといった部門の予測であれば、今回の結果にも納得がいく。その理由は、クライアントを失望させない予測にするという「暗黙のバイアス」、いわゆる「忖度」が働く可能性があるためだ。予測の依頼主が環境急進派的で「BEV寄り」の回答を期待しているか、あるいは技術論や市場の現実を踏まえた回答を求めているかによって、BEV普及台数見通しは大きく変動する。これはS&Pに限らず、あらゆる市場予測に当てはまる傾向である。この「忖度」こそが、筆者がS&Pの予測をBEV推進派寄りの楽観シナリオと考える最大の理由の一つである。
予測時期による市場評価の変化
S&Pの予測が楽観的すぎるもう一つの理由は、予測を実施した「時期」にある。2024年Q3(7-9月)時点と2025年Q1(1-3月)時点で行われたBEV市場予測は、驚くほど内容が異なる。筆者が情報交換するある調査会社のデータも、まさにこの違いを示していた。
この時期的な変化の一因となったのが、欧州委員会(EU委)が欧州OEMに対してBEV搭載バッテリーの保証走行距離延長を「お願い」したことだ。何としてもBEVを普及させ、販売台数を押し上げたいEU委の意向を受けた結果、今年に入ってからの欧州における法人向けBEV需要が増加した。ブルームバーグNEFやIEAの内部予測も、2024年Q3に大きく修正された。「たとえ安価なBEVが複数投入されても個人需要はそれほど伸びない」「パワートレイン選択ではHEV系への期待値が大きくなった」と、前年Q3時点では予測されていたのだ。
昨年の欧州における法人向けBEVリース実績は散々なものだった。リース会社はバッテリーのトラブルによる高額な修理費に悩まされ、リース期間満了後のBEVの下取り価格も暴落したため、BEVリース事業から利益が出ていなかったのである。そのため、昨年Q3時点での予測はBEVにとって厳しいものにならざるを得なかった。
そこでEU委が動いた。OEMにバッテリー保証の延長を「お願い」したのである。これがBEV販売予測にとっては「嬉しい誤算」となった。2024年Q4(10-12月)の予測では、「CSRDがBEV需要を押し上げる可能性がある」という観測があったが、2025年Q1の実績はそれを上回った。S&Pが2025年に入って強気なBEV予測を掲げた背景には、この時期的な要素が大きく影響していると考えられる。欧州の乗用車および小型商用車需要の約6割を占める企業向けリース車や社有車が今後もCSRDの影響を受け続けるとS&Pが判断した結果だろう。
しかし、これも楽観的に過ぎる。OEM側がバッテリー保証期間の延長を無期限に続ける保証はない。EU委の「お願い」がいつまでも通用するわけではない。欧州で企業向けフリート需要の約4割を握るのはOEM直営または系列のリース会社であり、ここでの利益が確保できなくなれば、各OEMは躊躇なくバッテリー保証内容を見直す可能性がある。企業の存続のためには背に腹は代えられない状況だからだ。
無視できない地政学的リスク:中国への過度な依存
S&Pの予測が楽観的すぎると言えるもう一つの理由は、地政学的リスクの評価が不十分な点だ。BEVは現在、あまりにも中国への依存度が高い。この点を十分に加味しなければ現実的な予測はできない。
20世紀は「石油の世紀」と呼ばれ、特に第二次世界大戦後は産油国である中東諸国の政治的発言力が強まり、OPECが世界のエネルギー需給だけでなく政治にも影響を及ぼした。現在、中国はBEVに使われるリチウムイオン電池(LIB)の65%、一部の材料に至っては90%のシェアを握っている。同時に、BEVとセットで語られることの多い再生可能エネルギー発電装置においても、太陽光パネルの90%、風力発電用風車の60%を握っている。
電気自動車(BEV)用バッテリーで世界最大シェアの中国CATL
今や中国はBEVと再生可能エネルギー分野において、かつての最強時代のOPECのような存在になりつつあり、完全に世界を牛耳り始めている。幸いにも、中国特有の「過剰生産体質」「過当競争体質」により、LIBも太陽光パネルも現在は過剰在庫を抱えている。そのため供給量は豊富で、LIB単価は値下がりを続けている。
しかし、世界最大のCATL(世界シェア37%)を筆頭に、BYD(同16%)、中創新航(同4.7%)、国軒高科(2.4%)など、世界シェア1%以上の電池メーカーが十数社も存在する中国は、共産党一党独裁という政治体制であり、北京政府の「ひと声」が企業の戦略を大きく支配する。
いくつかのシンクタンクの内部資料では、LIBを中国に依存するかしないかで、2030年以降のBEV普及予測が大きく変わることが示されている。最大の理由は電池コストだ。欧州が中国依存から脱却する道を選択した場合、BEVシェアが最大で25%程度減少するという試算もある。
すでに中国抜きでのBEV普及を進めようとしている米国は、韓国のLG Chem(世界シェア14%)、SK On(同4.9%)、Samsung SDI(同4.6%)、そして日本のパナソニック(同6%)に電池の米国内製造を求めている。工場を建設すれば製造は可能だが、原材料の半分を中国が押さえている現状がどう影響するか、今後の流れを注視する必要がある。米国には有力なLIBメーカーが存在しない。A123システムズは中国資本に買収された。欧州にも有力なLIBメーカーはない。ブリティッシュボルトは量産前に破綻し、ACCは2023年に少量の量産を開始したものの生産計画は大幅に遅れている。ノースボルトは米国で破産法第11条を申請し、活動はほぼ停止状態だ。
上海モーターショーでのCATLブース展示とバッテリー品質に関する説明(BEV用電池)
欧州こそ、中国依存から容易に脱却できそうにない。少なくとも、今後3年間は欧州資本の電池メーカーが大量のLIBを量産できる状況にはない。中国依存を続けた場合、逆に中国のLIBメーカーや中国政府から足元を見られる可能性がある。EU委が敵視し補助金調査まで強行した中国の電池メーカーと、欧州のOEMが友好的な関係を維持できるかも不透明だ。
中国製LIBの品質問題という現実
さらに言えば、中国製LIBの品質問題も無視できない現実である。CATLのトップが「中国製電池の発火や爆発のリスクヘッジは十分ではない」と語り、物議を醸したのは、昨年9月に四川省で開催された「2024世界動力電池大会」でのことだった。韓国で地下駐車場に停めてあったBEVが火災を起こし、当局の指示でOEM各社が電池調達先を公開したことを受けての発言だった。
LIBの発火事故確率は、1セル当たり100万分の1と言われる。しかし、CATLのトップは「中国だけで路上にはすでに30億セルが存在する。その100万分の1は3000。つまり3000台のBEVが火災事故を起こしても不思議ではない」と語ったのである。日本のパナソニックや、かつて日産とNECの合弁会社で現在は中国資本のAESCは、ともに路上での電池発火事故はゼロである。中国製LIBの事故は、率直に言えば「たまに起きている」のが現状であり、韓国製も事故ゼロではない。
もし欧州でLIBの発火事故が起きたとき、その電池を製造した企業はEUが指示する事故調査を実施し、原因究明を行い、それを説明するという責任を負う。この対応が不十分であれば、間違いなくペナルティを科されるだろう。かつて中国車は、ドイツでの衝突安全性試験で「安全性ゼロ」と酷評され、10年以上にわたってEU認証を取得しない少数販売へと逃げる羽目になった。同じようなことがBEVで起きないとは言い切れない。
中国上海市内で多数走行する新エネルギー車(NEV/BEV)
以上が、筆者がS&PのBEV予測を「楽観的すぎる」と考える主な理由である。たとえ多くの偶然と幸運に恵まれたとしても、2027年にBEV販売台数がICVを上回るとは考えにくい。筆者にとっては、現実味に欠ける予測と言わざるを得ない。
EUの政策と自動車産業の方向転換
昨年、ACEA(欧州自動車工業会)は、EU政府のBEV一本槍政策を痛烈に批判した。EUの中枢であるEU委員会やEU議会、そして官僚組織であるEU事務局は、カーボンニュートラリティ(炭素中立)を政策目標とし、その達成のみに固執していることから、ACEAは批判を行ったのである。
現在、EUのスローガンは2021年に決定された「Fit for 55」である。これは2030年までに温室効果ガスの年間排出量を1990年比で55%以上削減することを政策目標とし、政治的な最優先事項と定めている。EU委は政治的メンツを非常に重視し、一度決めたことは容易に撤回しない傾向がある。この「Fit for 55」が全体目標であり、政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)の拠り所となっており、その中で発電分野は「再生可能エネルギー推進」、自動車分野は「BEV普及」が主要なスローガンとなっているのだ。
EU委やEU議会といったいわゆるEU政府の「BEV推進」を後押ししているのが環境NGOなどであり、彼らとのスローガンは共通している。昨年の欧州議会選挙では「緑の党」に代表される環境政党は勢力を後退させたものの、EU委は依然として「Fit for 55」という目標を堅持している。その背景には、環境NGOなど「世論の支持」があると考えられる。
4年半前の2021年1月には、ある媒体に「日本のOEMがHEVに固執していると日本は国益を失う」という記事が掲載された。しかしその2年半後、炭素中立を政治方針とする欧州で、メルセデスベンツがBEV投入計画の見直しを発表し、その後の1年間で欧米OEMは相次いでHEVやPHEVの投入へと舵を切ったのである。
欧州や中国では、政治がOEMの商品開発を指導し、国民の「クルマ選び」に干渉してきた。一党独裁の中国は、BEV、PHEV、燃料電池電気自動車(FCEV)を新エネルギー車(NEV)のカテゴリーに指定し、その普及のために28兆円以上の補助金をばら撒き、とりあえずは普及目標を達成した。これを見ていたEUもほぼ同額の補助金を使ったが、中国製BEVが大量に売れ始めたことで態度を変え、挙句の果てに中国製BEVの規制に走り、中国のOEMに対して補助金調査を行うという愚行に出たのである。EU自身も大規模な補助金をばら撒いていたにもかかわらず、である。
中国の自動車ユーザーは、BEVを「電気だから買う」のではなく、ガソリン代がかからない、税金が安い、補助金が出るなどの恩典を魅力に感じ、BEVが有力な選択肢となった。EU委はこの中国共産党方式を真似ようとしたが、民主主義国家では国民に買い物を強制することはできなかった。そのためOEMを追い詰めたが、いじめすぎて体力を削いでしまった形だ。
2024年7月にアリックスパートナーズが発表した予測では、2030年時点の世界市場でBEVとPHEVが41%、純粋なICVが35%、そして残りの24%がHEVだった。これはおそらく、自由な買い物ができる国と、政策によって買い物を誘導・強制される国との平均値として、より現実的な将来像を示唆していると言えるだろう。
牧野 茂雄
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