朝ドラ『あんぱん』モデル・やなせたかし氏、弟の戦死と戦争体験を綴った詩集「ちいさな木札」に滲む悲しみ

連続テレビ小説「あんぱん」のモデル、やなせたかし氏。国民的キャラクター「アンパンマン」の生みの親として知られますが、氏の人生には深い悲しみが。特に22歳で戦死した弟・千尋氏への思いは尽きません。このやなせたかし 弟 戦争 体験を綴った詩集『やなせたかし おとうとものがたり』から、氏の尽きせぬ思いと戦争の傷跡を伝えます。

連続テレビ小説「あんぱん」のモデル、やなせたかし氏。詩集『おとうとものがたり』に関連する写真。連続テレビ小説「あんぱん」のモデル、やなせたかし氏。詩集『おとうとものがたり』に関連する写真。

『おとうとものがたり』に秘められた個人的な記憶

この詩集『やなせたかし おとうとものがたり』(フレーベル館刊)には、やなせ氏と弟・千尋氏の幼い頃の思い出、そして父の死や母との別離といった複雑な生い立ちが描かれています。二人が背負った背景の中で、仲良く過ごした日々が鮮やかに蘇ります。そして、戦争によって無惨にも引き裂かれた弟への深い悲しみと無念さが、18篇の詩と絵に込められています。当初は世に出す予定ではなかったというこの作品は、やなせ氏の最も内なる、個人的で深い感情が秘められています。

戦地からの帰還と弟の「ちいさな木札」

詩集の中から、弟を戦争に奪われた悲しみと悔しさが特に強く滲む詩「ちいさな木札」を抜粋してご紹介します。この詩は、やなせ氏自身の中国大陸での過酷な行軍体験を描いたものです。昭和十八年、兵隊として福州から温州を経て上海へと決死の行軍を続けた氏が見た風景、蜜柑の多い温州は故郷を思わせ、亡父がかつて旅した場所でもありました。浙江省に入ると、濁水から山紫水明の美しい景色へと変わります。

やなせたかし詩集『おとうとものがたり』より、詩「ちいさな木札」の一場面を描いた挿絵。やなせたかし詩集『おとうとものがたり』より、詩「ちいさな木札」の一場面を描いた挿絵。

美しい川で水浴びをしたやなせ氏は、「こんな美しい風景の中で、ぼくらは殺しあいをしてはいけない」と感じたと綴っています。しかし、その直後、迫撃砲弾による狙撃を受け、耳をかすめる小銃弾の中を九死に一生を得て逃れました。どうにか上海まで辿り着いた時には、幸いにも戦争は終結していました。安堵と共に故郷へ帰りついた氏を待っていたのは、弟・千尋氏の戦死というあまりにも辛い報せでした。渡された白い骨壺の中には、弟の遺骨は何も入っておらず、たった一枚のちいさな木札だけが入っていたのです。仏壇に飾られた海軍将校の白い制服姿の弟の写真は、微笑んでいるように見え、「兄貴、お先にいくぜ」と言っているかのようだったと、その時の衝撃と悲しみが克明に描かれています。

尽きせぬ幻想――「僕の中では二十歳前後のまま」

詩集のあとがきには、弟への尽きせぬ思いが切々と記されています。やなせ氏は、「時々、弟が奇跡的に南の島で生きていて巡り会えることになると思う時がある」と述懐しています。これはもちろん幻想にすぎませんが、もし再会できたなら、もう高齢になっているはずの弟に、何と言葉をかけようかと思案し、うまい言葉が見つからず困るというのです。しかし、「僕の中では二十歳前後のままで、少しも成長していないのである」とも語っています。この言葉は、戦争によって永遠に時間が止まってしまった弟の存在が、兄の心の中でどれほど鮮烈に、そして悲しく残り続けているかを示唆しており、深い喪失感と後悔の念が感じられます。

『やなせたかし おとうとものがたり』は、国民的ヒーロー「アンパンマン」を生み出した作者の知られざる戦争体験と、肉親を突然失った深い悲しみを伝える貴重な作品です。弟・千尋氏への愛情と喪失の痛みは、時を経ても色褪せることなく、やなせ氏の創作活動の根底に流れ続けていたのかもしれません。この詩集は、戦争が一個人の人生、そして心にどれほど深い傷を残すかを静かに、しかし力強く訴えかけ、戦争体験の記憶とその後の人生への影響を考える上で、貴重な示唆を与えてくれます。

[参考資料]