小説家・佐川恭一氏は、幼少期から「神童」と呼ばれ、自身の才能を信じて疑わなかった。難関高校受験を突破し、地元でも指折りの超進学校へ進学。そこには彼と同様に学歴への異常な執着を持つ生徒たちが集まっていた。「学歴狂」とも呼ぶべき環境の中で、さらに強烈な印象を残したのが、一人のカリスマ教師だった。彼は一体、生徒たちに何をもたらしたのか。その教育手法と、生徒が彼に抱いた「信仰」にも似た信頼について、佐川氏の視点からひも解く。
伝説の英語教師・宮坂の衝撃
佐川氏たちが高校三年生に進級すると、伝説の英語教師として知られる宮坂先生(仮名)の授業が始まった。最初の授業での出来事は強烈だった。宮坂先生は教室のドアを勢いよく開け閉めするなり、最前列の生徒の机にあった英和辞典「ジーニアス」を掴み、ゴミ箱に投げ捨てたのだ。そして大声で叫んだ。「お前らァ!! 日本の英語力はアジアで下から二番目だ!モンゴルの次が日本だ!こんなものを使っていてはいつまで経っても英語はできるようにならない!辞書は英英辞典のロングマンを使え!単語の語源を常に意識しろ!」その剣幕に、生徒たちは慌てて手持ちの英和辞典を机に隠したという。学校が推奨していたのは「ジーニアス」か「ライトハウス」だったため、生徒に非はないはずだが、反論など許される雰囲気ではなかった。
厳しすぎる指導が生む「信仰」
宮坂先生は毎回自作の英作文プリントを用意し、生徒を指名して黒板に答えを書かせた。指名された生徒は皆、極度に緊張した。書いた英文は、ほぼ例外なく徹底的にこき下ろされたからだ。彼は生徒の英文に鼻を近づけ匂いを嗅ぐふりをし、「神戸大学の匂いがする!」「教室全体が神戸大学臭い!」と叫んで、東大・京大・国公立医学部を目指す生徒たちを辱めた。また、英文を見た瞬間に「蛍の光」を歌い出し「駿台入学おめでとう!」と揶鉄したり、あまりにひどい英文には高校の校章を書きながら校歌を歌い出すといった、鬼畜とも言えるスマイルを見せることもあった。
超進学校で熱血指導を行うカリスマ英語教師のイメージ
こうした描写だけを見れば、ひどい教師だと感じるだろう。しかし、佐川氏は宮坂先生の授業が素晴らしかったと述べている。恐怖を感じながらも、「この先生の言う通りにすれば、東大・京大の英作文は必ず突破できる」という強い「信仰」を生徒たちは抱いていたのだ。難関大に挑む際、佐川氏のような凡人にとって、この種の信仰は極めて有用だった。スポーツ選手が「ゾーンに入る」というように、受験勉強にもその状態は存在する。そのためには、目の前の問題や自身の勉強法に価値があるという前提を相当深く信じる必要がある。「カリスマ教師」と呼ばれる教師の真の価値は、その授業内容や表現力だけではなく、生徒に強烈な「信仰」をもたらす点にあるとすら言えるだろう。
もう一人の「カリスマ」:駿台の大森徹先生
佐川氏が直接授業を受けた経験の中で、この宮坂先生と並んでカリスマ教師のツートップだったと語るのが、駿台予備学校で生物を担当する大森徹先生(実名)だ。佐川氏は文系だったため、生物はセンター試験(共通テストの前身)でのみ使用し、通常であれば9割を切ることはなかった。しかし、「遺伝」分野の複雑な問題には苦手意識があったという。
ところが、夏期講習で大森徹先生の講義を受けた途端、「あ、遺伝いけるわ」と確信を持てたのだ。教室全体の空気感からも、多くの受講生が同じように「遺伝いけるわ」と感じていたはずだという。短期間の受講だったため具体的に何がそこまで凄かったのかは忘れてしまったそうだが、「これならできる」という自信と「いけるわ」という感覚を生徒に残すことが、教師の持つ大きな仕事であることは間違いないと佐川氏は結論付けている。
佐川恭一氏の経験から見えてくるのは、「カリスマ教師」の真価が、単なる知識の伝達や効率的な受験対策法を提供するだけでなく、生徒の内面に強い自信や目標達成への「信仰」を育むことにあるという点だ。厳しさの中に確かな効果と生徒への信頼を生み出す指導法は、学歴社会という競争の激しい環境において、難関大を目指す多くの凡人にとって、道を切り拓くための重要な指針となり得るのである。