双子のタレントとして知られる工藤兄弟は、芸能界デビューからわずか半年という短期間で国民的な人気を誇った番組「笑っていいとも!」の8代目「いいとも青年隊」に抜擢され、一躍脚光を浴びました。各局を掛け持ちするほどの多忙な日々を送った彼らも現在53歳。兄の順一郎さんと弟の光一郎さんが、エンタメ情報番組『ABEMAエンタメ』の密着企画「NO MAKE」の取材に応じ、ブレイクの経緯や「芸能界から距離を置いた真相」について語りました。
野球少年から芸能界へ:和田アキ子の言葉が運命を変えた
工藤兄弟は1972年、東京都文京区で誕生しました。幼少期から野球に打ち込む日々を過ごした二人が芸能界へ足を踏み入れたのは19歳の時です。きっかけは、母親が応募した「ホリプロスカウトキャラバン」への参加でした。本人たちの意思ではなく応募されたこと、そして双子で一緒だったことから、オーディション中もあまり緊張していなかったという工藤兄弟に目を留めた人物がいました。
弟の光一郎さんは当時を振り返り、「アッコさんがたまたま、『なんだあいつら? とりあえず取っておけ』と言ってくれたらしいです。それで急遽、『特別賞』を設けてくれて芸能界に。何かをやる志のないまま『お世話になります』と所属が決まりました」と語りました。思いがけず大手芸能事務所に所属が決まった半年後、彼らの人生を大きく変える転機が訪れます。
幼少期、野球少年だった頃の工藤兄弟
「いいとも青年隊」での大抜擢と大物タレントからの可愛がり
「笑っていいとも!」のプロデューサーと工藤兄弟が所属していた部署の部長が飲み友達だった縁から、急遽面接に呼ばれた二人は、あれよあれよという間に8代目「いいとも青年隊」への大抜擢が決まります。当時のレギュラーメンバーには日本のエンタメ界を代表する錚々たる顔ぶれが並んでいましたが、工藤兄弟は不思議と萎縮することはなかったといいます。その理由を弟の光一郎さんは次のように明かしました。
「タモリさんはじめ、月曜から金曜までの各レギュラーの人に『はじめまして、お世話になります。工藤兄弟と申します。よろしくお願いします』と挨拶したら全員に『アッコさんから聞いているよ』『和田さんから聞いている』と言われたんです。(事務所の先輩である)アッコさんが、僕たちが挨拶に行く前に、全員に一言ずつ『うちの若いのが行くからよろしく』と声をかけてくれていたそうで。だから本当にやりやすかったですね。色々な方に可愛がってもらえました」。
兄の順一郎さんも、「タモリさんには食事に連れて行ってもらいました」と語り、弟の光一郎さんはさらに、「ヒロミさんは、スノーボードやウェイクボード、海や山、湖など、遊びの時は必ず一緒に連れて行ってもらいました」「ダウンタウン浜田さんは『何やってんだよ。どうせ暇だろう』と声をかけてくれて、そのまま食事に連れて行ってもらったり、ボウリングや買い物を一緒に楽しませてもらったりしました」と、錚々たる先輩方からの温かいサポートがあったことを明かしました。
53歳になりABEMAの取材に応じる工藤兄弟
国民的人気者となり駆け抜けた多忙な日々
「いいとも青年隊」として全国にその名を知られるようになった工藤兄弟は、メディアからの出演オファーが殺到し、文字通り引っぱりだこの状態となりました。彼らのスケジュールは埋め尽くされ、何カ月もの間、ほとんど休みがないほど多忙を極めたといいます。
まとめ
野球少年だった工藤兄弟が、母親の応募と和田アキ子さんの後押しで芸能界入りし、「笑っていいとも!」のいいとも青年隊として国民的な人気を獲得するまでの目覚ましい経緯が明かされました。タモリさん、ヒロミさん、ダウンタウン浜田さんといった大物先輩からのサポートを受けながら、多忙な日々を駆け抜けた彼らが、53歳になった今だから語れる「芸能界から距離を置いた真相」とは何だったのか。それは彼らのその後のキャリアと人生観に深く関わる物語です。
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