「ミラノの3G」が築いたイタリアファッション黄金期:アルマーニとプラダに迫る

プラダの象徴ともいえるナイロンバッグは、かつて革製品が主流だった高級ブランドバッグ市場において、プラダがブランド再生のために生み出した革新的なアイテムです。現在では世界中で定番となったナイロン素材「ポコノ」の魅力は広く知られています。1970年代から80年代にかけては、パリだけでなく、イタリアをはじめとする各国のデザイナーたちが世界的な注目を集めるようになりました。特にイタリアでは、「ミラノの3G」と呼ばれる3人の偉大なデザイナーが登場し、その後のファッション界に大きな影響を与えたのです。

「ミラノの3G」がファッション界を牽引

イタリアファッションの隆盛を語る上で欠かせないのが、ジョルジオ・アルマーニ(Giorgio Armani)、ジャンフランコ・フェレ(Gianfranco Ferre)、ジャンニ・ヴェルサーチ(Gianni Versace)の3人です。彼らは「ミラノの3G」として一世を風靡し、1980年代のファッション界を牽引しました。彼らの登場により、イタリアのファッションは世界的なトレンドセッターとしての地位を確固たるものにしたのです。

イタリアファッションとアメリカンファッションの対比

日本において、イタリアファッションはアメリカンファッションと対比される形で語られることがよくあります。現代のアメリカンファッションがチェックシャツ、プリントTシャツ、ジーンズといった日常着としての側面が強いのに対し、イタリアファッションはより「おしゃれ」を意識したスタイルとして認識されがちです。かつては、カジュアルなジャケットにスラックス、ボタンを大きく開けたシャツといったスタイルがイタリアファッションの典型とされ、ファッション雑誌が提唱した「ちょいワルおやじ」のようなスタイルも、このエレガントでセクシーというイメージを象徴しています。このイタリアファッションに対するイメージは、1980年代に「ミラノの3G」によって確立されたと言えるでしょう。

ジョルジオ・アルマーニの戦略

「ミラノの3G」の中でも、特にその知名度が高いのがジョルジオ・アルマーニです。彼はメインラインの「ジョルジオ・アルマーニ」に加え、「エンポリオ・アルマーニ」や「アルマーニ・エクスチェンジ」といったセカンドラインや若者向けラインを展開し、幅広い顧客層からの支持を得ています。アルマーニは単なるデザイナーとしてだけでなく、マーケティングやビジネス戦略にも長けた人物でした。1980年代に入り、ブランドの知名度向上や販売手法が近代化していく中で、彼の商才が大きな力を発揮したのです。

ハリウッド進出がブランド認知度を飛躍的に向上

アルマーニの認知度を世界的に高めるきっかけの一つとなったのが、アメリカ・ハリウッドのセレブリティへの衣装提供を積極的に行ったことです。特に、1980年のリチャード・ギア主演映画『アメリカン・ジゴロ』での衣装提供は、アルマーニの人気に火をつけました。イタリアのブランドでありながら、アメリカ市場のニーズを捉え、映画という影響力の大きな媒体を通じてブランドの認知度を向上させていったのです。

ミラノコレクションにおけるプラダのファッションショー風景ミラノコレクションにおけるプラダのファッションショー風景

まとめ

「ミラノの3G」、特にジョルジオ・アルマーニを中心としたデザイナーたちの活躍は、1980年代のイタリアファッションを黄金期へと導きました。彼らは革新的なデザインはもちろんのこと、巧みなマーケティング戦略によってブランドを世界に広めました。プラダのナイロンバッグがそうであったように、既存の概念を覆すアイテムや戦略が、高級ブランドの地位を確立する上でいかに重要であったかを示しています。彼らが築き上げたエレガントで洗練されたイタリアファッションのイメージは、今日に至るまで多くの人々に影響を与え続けています。

本稿は、とあるショップのてんちょう著『教養としてのハイブランド フツーの白シャツが10万円もする理由』(彩図社)より一部を抜粋・編集したものです。