近年、ヨーロッパを中心に「安楽死」や「尊厳死」を法的に認める動きが加速しており、その法制化の行方が世界的に注目されています。かつて安楽死といえばスイスのイメージが強かったですが、現在ではオランダやベルギーといった国々に加え、スペインやポルトガルなどでも法制化が進んでいます。こうした流れの中で、2025年6月20日にはイギリス下院で関連法案が可決され、大きな一歩を踏み出しました。このヨーロッパにおける安楽死法制化の現状、そしてそれがもたらす倫理的・社会的課題、さらには日本への示唆について掘り下げていきます。
ヨーロッパでの安楽死法制化議論。約160億円の医療費節約との報告も(イメージ)。
ヨーロッパにおける安楽死・尊厳死法制化の現状
ヨーロッパでは、末期患者や耐えがたい苦痛を抱える人々に対して、自身の意思に基づき生を終える選択肢を法的に認める議論が長く続けられてきました。その先駆者であるオランダは2002年に世界で初めて安楽死を合法化し、ベルギーも同年にこれに続きました。これらの国では、厳格な条件のもと、医師による安楽死や自殺幇助が認められています。
その後、ルクセンブルク、カナダ(欧州外だが関連文脈で語られることが多い)、コロンビア、スペイン、ポルトガル、ニュージーランドといった国々で、様々な形で「死を選ぶ権利」が法制化あるいは合法化されてきました。スイスでは古くから自殺幇助が一部認められていましたが、他国のような医師による積極的な安楽死とは異なります。これらの国々で法制化が進む背景には、医療技術の進歩による延命が可能になったことで、尊厳を保った最期を迎えたいという個人の価値観の変化や、医療費負担の問題など、複雑な要因が絡み合っています。法制化の形式は国によって異なり、「安楽死」(医師が薬物を投与)と「医師幇助自殺」(医師が薬物を提供し、患者自身が投与)のいずれか、あるいは双方を認める形が取られています。
イギリス下院での安楽死法案可決とその背景
イギリスではこれまで安楽死や医師幇助自殺は違法とされてきましたが、国民の間では合法化を求める声が根強く存在しました。度々法案が提出されては否決される歴史をたどってきましたが、2025年6月20日、ついに下院で安楽死合法化に向けた法案が賛成多数で可決されました。これは、長年の議論を経て、社会的な機運が高まってきたことの表れと言えるでしょう。
この法案は、末期患者で余命が限られていること、耐えがたい苦痛を抱えていること、そして本人の明確かつ一貫した意思があることなど、非常に厳しい条件を満たした場合に限り、医師の幇助による自殺を合法化することを目指しています。可決後も、上院での審議など、成立までにはまだいくつかの段階がありますが、今回の下院可決はイギリスにおける「死ぬ権利」に関する議論を大きく前進させる出来事となりました。法案推進派は、患者の苦痛からの解放と自己決定権の尊重を訴え、反対派は、弱者への圧力や医療倫理の観点から懸念を示しています。
安楽死法制化を巡る議論と問題点
安楽死・尊厳死の法制化は、世界中で最も活発かつ難しい倫理的・社会的議論の一つです。推進派は、個人の尊厳と自己決定権を最大限に尊重し、耐えがたい苦痛からの解放を可能にする手段として法制化を訴えます。末期患者が、単に生命維持装置につながれて苦痛に耐えるのではなく、自らの意思で穏やかな最期を選ぶ権利を持つべきだと主張します。また、一部には医療費の抑制につながるという経済的な側面を指摘する声もあります(ただし、これは議論の的となることが多い点です)。
一方、反対派は、生命の神聖さや医療倫理の根幹に関わる問題として、安楽死の合法化に強く反対します。安楽死が認められることで、本人の真の意思に基づかない選択や、経済的・精神的な理由から「死を選ばざるを得ない」状況に追い込まれる弱者を生み出す可能性があると懸念します。また、医師が「生を救う」という役割から「死を助ける」役割を担うことに対する抵抗感や、誤診の可能性、法的な線引きの難しさなども重要な問題点として指摘されます。疼痛緩和ケアの充実こそが進めるべき方向性だという意見も根強くあります。これらの議論は、単なる法的な枠組み作りにとどまらず、生命、医療、社会保障、個人の価値観といった多岐にわたる問題と深く結びついています。
日本における安楽死・尊厳死議論への示唆
ヨーロッパ各国、特にG7の一角であるイギリスで安楽死法案が可決されたことは、日本における安楽死や尊厳死に関する議論にも少なからぬ影響を与える可能性があります。日本国内でも、超高齢社会の進展や医療技術の高度化に伴い、「どのように死を迎えたいか」という終末期医療やリビングウィル(事前指示)に関する議論は活発に行われています。しかし、安楽死や医師幇助自殺の合法化については、倫理的、宗教的、文化的な背景から、ヨーロッパ諸国と比較すると議論は慎重に進められてきました。「尊厳死」という言葉が使われることが多いですが、これは法的に明確に位置づけられているわけではなく、延命治療を差し控える・中止するといった文脈で語られることが一般的です。
ヨーロッパ、特にイギリスのような国での法制化の動きは、「日本でも同様の議論を進めるべきだ」という声や、「日本の価値観や社会システムにはそぐわない」といった様々な反応を引き起こすでしょう。医療現場の負担、家族の意向、国民的な合意形成の難しさなど、日本で安楽死が法制化されるまでには多くのハードルが存在します。しかし、国際的な潮流として「死を選ぶ権利」に関する議論が進む中で、日本もまた、この複雑な問題から目を背けることはできなくなっています。今後、ヨーロッパの事例を参考にしつつ、日本独自の文化的・社会的背景を踏まえた上で、終末期医療や個人の尊厳に関する議論がさらに深まっていくことが予想されます。
欧米における安楽死法制化の動きは、単に特定の国の法改正に留まらず、私たち一人ひとりが「どのように生き、どのように最期を迎えるか」という根源的な問いを改めて突きつけるものです。世界と日本の両方の視点から、この重要なテーマについて引き続き注視していく必要があります。