新刊『西洋の敗北』の刊行を機に、各国から招待を受けるようになった歴史人口学者エマニュエル・トッド氏が、ハンガリーに続きロシアを訪問しました。これは、これまでフランスのメディアからの「親露派」という非難を避けるためにロシア関係者との接触を控えてきた氏にとって、「一線を越える」行為とも言えるものでした。今回のロシア滞在で、トッド氏が見聞きし、そして改めて確信した世界情勢についての自身の見解とはどのようなものだったのでしょうか。この訪問は、彼の長年の主張である「世界は米国を必要としない」という視点を、現地の状況を通して検証する機会となりました。
ロシアで感じた意外な反響と学術交流
ロシア科学アカデミーからの招待を受け、モスクワを訪れたエマニュエル・トッド氏は、現地で自分が予想以上に知られていることに驚いたと言います。彼の著作はロシアでも広く読まれており、特に新刊の『西洋の敗北』は書店に並び、ベストセラーリスト入りしている状況を目にしました。
訪問の主な目的は、博士課程の学生を対象とした「人類学と戦略的リアリズム国際関係論」に関する講義でした。この講義は後にネットで公開される際、フランスでの「ロシア嫌い」の風潮を皮肉る意味を込めて「ロシアより愛をこめて」というタイトルが付けられたとのことです。
さらに、トッド氏はロシア外務省傘下の雑誌やテレビ局「ロシア24」の取材も受けました。特に「ロシア24」のインタビューでは、完璧なフランス語を話す記者から「米国覇権の後退によって世界に問題が生じないか」という質問を受けました。ロシアにおけるフランス語教育の水準の高さに感銘を受けたトッド氏は、この質問に対して、自身の核心的な見解を次のように述べました。
エマニュエル・トッド氏、ロシア訪問中にモスクワの赤の広場で撮影された写真。
「世界の警察官」論への反論:米国は世界を必要とする
「妖精に遭遇して願い事を一つだけ叶えてもらえると想像してみてください」と前置きしたトッド氏は、「私ならこう言います。『米国にはしばらくの間、いなくなってほしい。そうすることで、ユーラシアに平和が訪れるから』」と答えました。
彼は、米国が「世界の警察官」であったという見方自体を否定します。むしろ、米国は「世界の安全を守るために米国が必要だ」と各国に思わせるために、イラク、アフガニスタン、ジョージア、シリアなど、ユーラシア各地の紛争に不必要に介入してきたのだと論じます。つまり、「世界は米国を必要とする」のではなく、実態は「米国は世界を必要とする」のです。
生産量以上に消費量が大きい米国は、世界各国からの輸入品がなければ現在の生活水準を維持できません。この経済構造こそが、米国が世界との関係を必要とする根源であるとトッド氏は指摘します。
トランプ関税が招く国内経済への打撃
この現状を改善しようとする試みの一つが、ドナルド・トランプ前大統領による「トランプ関税」でした。製造業を復活させるための保護主義というアイデアそのものには、トッド氏も原則賛成の立場を示します。しかし、その実施方法には厳しい批判を向けました。
保護主義政策を成功させるために不可欠な「勤勉で良質な労働者やエンジニア」が国内に不足している状況下で、建設的・協調的なアプローチではなく、一種の「破壊衝動」に駆られるような形で実施されているトランプ関税は、かえって供給不足とインフレを招く結果になると予測します。そしてこれは、国内の製造業だけでなく、トランプ氏を支持する多くの庶民の生活にも壊滅的な打撃を与える可能性があると警鐘を鳴らしました。
エマニュエル・トッド氏のロシア訪問は、彼が長年主張してきた「世界の構造」についての洞察を深める機会となりました。ロシアでの自身の意外な知名度や、現地のメディアとの交流を通じて、彼は米国中心ではない世界の新たな現実とその中で米国が直面する課題について改めて語ったのです。