台湾の李登輝政権で総統を補佐する「国策顧問」を務め、中国との「密使」役を担った曽永賢(そう・えいけん)氏が3日夜に死去していたことが4日夜、関係者の話で分かった。
1924(大正13)年12月、日本統治下の台湾中部・苗栗県生まれ。39年に苗栗第1公学校卒業後、日本に留学。46年に早稲田大学を卒業して台湾に戻り、47年、中国共産党入党。52年に調査局に逮捕され、翌年6月から同局研究処員となり、86年から同研究処長。92年から2002年まで総統府国策顧問、02年から04年まで、総統府資政を務めた。
中国共産党研究の第一人者として知られ、今年4月から本紙掲載の「李登輝秘録」では、1992年に北京を訪問し、楊尚昆(よう・しょうこん)国家主席と会談するなど、李政権下で中台間の密使として活躍した実態を証言していた。
(台北 田中靖人)