ジャーナリズムの「科学」性:アカデミック・ジャーナリズムの探求と報道の深層

新聞記者として日々取材活動を行う中で、私にとって学術界の専門家の方々は、社会事象に関する知見を伺う取材対象という位置づけでした。意識的に線を引いていたわけではありませんが、ジャーナリズムとアカデミズムの間には、一部の例外を除き、固定化された関係があるように感じていました。

そんな中、人文ライターの斎藤哲也さんが企画・執筆に携わった『アステイオン』102号の特集は、アカデミック・ジャーナリズムという概念を体系的に理解しようと試みるものです。この特集は、ジャーナリズムが単なる情報伝達に留まらず、より深い学術的基盤を持つ可能性を示唆しています。

アカデミック・ジャーナリズムの定義とその「科学」的本質

本特集において、斎藤哲也さんはアカデミック・ジャーナリズムを簡潔に定義しています。それは、本特集の企画者でもあるジャーナリストでアカデミシャン、武田徹氏が監修した『現代ジャーナリズム事典』からの引用で、「人類学や社会学などで蓄積されてきた科学的な調査方法を駆使し、学術研究(アカデミズム)の世界でも十分に通用するクオリティを持ったジャーナリズム」と説明されます。

武田徹氏が今回の特集の巻頭論文で述べるとおり、ジャーナリズムが学術研究の世界で通用するのは、それが自然科学や社会科学と同様に、「形式」を持った「ひとつの科学」だからです。これらの諸科学とジャーナリズムとの本質的な違いは、ジャーナリズムが「生身の人間や日々流転する社会を相手取り、そのつど臨機応変に対応している」点にあります。この柔軟な対応能力こそが、報道の現場における専門性を示すものと言えるでしょう。

武田氏は自身の論考「SNS時代のジャーナリズム」の中でも、ジャーナリズムが依拠する「思想」と、事実へ的確にアプローチするための「科学」を明らかにすることを目指すと記しています。これは、ジャーナリズムが持つ客観性や信頼性を担保する上で、科学的な裏付けと調査方法がいかに重要であるかを示唆しています。情報の氾濫する現代において、この「裏付け」作業は、報道の質を左右する極めて重要な要素です。

ジャーナリズムの現場で情報収集や執筆を行う記者のイメージジャーナリズムの現場で情報収集や執筆を行う記者のイメージ

日本におけるアカデミック・ジャーナリズムの系譜と「岩波ジャーナリズム」

では、アカデミック・ジャーナリズムという言葉はいつ頃、どのようにして日本に定着したのでしょうか。その歴史的背景を探るため、国立国会図書館が運営するデジタルコレクションを活用した調査を行いました。2022年5月から一般公開されたこの機能は、著作権の切れた貴重な資料に自宅からでもアクセスできるため、学術的な調査を劇的に容易にしています。

このデジタルコレクションでの検索を通じて、ジャーナリストの扇谷正造氏が記した興味深いエッセイを発見しました(扇谷正造『夜郎自大』1982年、ティビーエス・ブリタニカ)。扇谷氏はその中で、「岩波ジャーナリズム」が「日本にアカデミック・ジャーナリズムを確立した」と述べています。

しかし、扇谷氏は同時に、岩波ジャーナリズムが「高踏的で大衆をかえりみなかった」点も指摘しています。その結果、知識は一部の知識人や学生の独占物となり、せっかくの知識も第二次世界大戦中の反戦主義においては無力であったと批判的に分析しています。これに続く講談社ジャーナリズムとの対比分析も興味深いものですが、ここでは岩波ジャーナリズムが日本のアカデミック・ジャーナリズムの礎を築いたという理解に留めます。この歴史的考察は、ジャーナリズムが社会に与える影響と、そのあり方が時代によって変化する様を浮き彫りにします。

結論

本稿では、ジャーナリズムが自然科学や社会科学と同様に「ひとつの科学」であるという視点から、アカデミック・ジャーナリズムの概念とその本質を探りました。武田徹氏や斎藤哲也氏らの定義を通じて、報道活動が科学的な調査方法と厳密な「裏付け」作業に支えられていることが明らかになりました。また、扇谷正造氏の論考から「岩波ジャーナリズム」が日本の「アカデミック・ジャーナリズム」の源流の一つであったこと、そしてその功罪についても触れました。

現代社会において、信頼できる情報への需要が高まる中、ジャーナリズムが持つ「科学」としての側面、すなわち事実に基づいた客観的な分析と検証のプロセスは、ますますその重要性を増しています。アカデミックな知見を取り入れ、それを一般社会に分かりやすく伝えるアカデミック・ジャーナリズムは、複雑な世界情勢や社会問題を深く理解するための羅針盤となるでしょう。

参考文献