6月27日、和歌山・白浜のアドベンチャーワールドには、多くの人々が別れを告げに訪れました。翌日、中国へ帰国する4頭のパンダたちに、最後の「ありがとう」を伝えるためです。涙を浮かべ、名残を惜しむ人々の姿は、園内に切ない空気を漂わせていました。日本人はパンダの愛らしさに純粋に魅了され、その素直な感情表現には感嘆させられます。東京・上野動物園のシャオシャオとレイレイも2026年2月に返還期限を迎えるため、このままでは日本は「ゼロパンダ時代」に突入するかもしれません。パンダが再び日本の土を踏む日は、一体いつになるのでしょうか。本稿では、日本と中国におけるパンダに対する姿勢の違いと、その背景にある「パンダ外交」について深く掘り下げます。
中国におけるパンダの「国宝」としての位置づけ
中国では、パンダは「国宝」と称される特別な存在です。その扱いは、日本人には想像しにくい文化、外交、そして感情が複雑に絡み合ったものです。現在、野生のパンダは四川省、陝西省、甘粛省の山岳地帯に約1800頭が生息しているとされ、野生での寿命は18~20年、飼育下では30年を超えることもあります。2024年の統計によると、世界の飼育下パンダは757頭で、そのうち600頭以上が中国で暮らしています。この圧倒的な数は、中国がパンダの保護と繁殖において中心的な役割を担っていることを示しています。
パンダ外交の歴史と変遷:日中関係の象徴
中国人がパンダを特別な存在として認識するようになったのは、「パンダ外交」が大きなきっかけです。1972年10月28日、日中国交正常化に合意した田中角栄首相と周恩来首相の功績を称え、中国から「友好の証し」として2頭のパンダ、「蘭蘭(ランラン)」と「康康(カンカン)」が羽田空港に到着しました。これは、当時の日中関係における象徴的な出来事であり、パンダが外交の「顔」として重要な役割を果たすことを世界に知らしめました。
1980年代初頭まで、中国はパンダを各国への「贈り物」として提供していましたが、1984年のワシントン条約締結により、絶滅危惧種であるパンダの譲渡は原則禁止となりました。これにより、パンダは贈り物ではなく、「貸与」という形に移行します。現在、パンダの年間レンタル料は1頭あたりおよそ7000万~1億5000万円にものぼるとされており、飼育・繁殖技術の中枢も中国が握っています。パンダは今なお、中国外交においてかけがえのない「顔」であり続けているのです。
北京動物園のパンダ「萌大」と日本のボランティア
先日、筆者は北京動物園で、ある日本人女性に取材する機会を得ました。彼女は由佳さん(30代)といい、北京でパンダのボランティア活動に精力的に取り組んでいます。彼女が特に心を寄せているのが、北京動物園で暮らす11歳の雄パンダ「萌大(モンダ)」です。由佳さんのような日本人が異国の地でパンダの保護活動に関わることは、国境を越えたパンダへの愛情を示すものであり、両国の文化的な架け橋ともなっています。
北京動物園で寛ぐ11歳の雄パンダ「萌大(モンダ)」、日中のパンダに対する意識の違いを象徴する存在
パンダが示す日中関係の未来
日本人がパンダのかわいさに心を奪われ、別れを惜しむ姿は、パンダが単なる動物を超えた存在であることを示しています。一方で、中国にとってパンダは「国宝」であり、その存在は国家の威信と外交政策に深く根ざしています。この日中間のパンダに対する意識の違いは、それぞれの国の文化や歴史、そして国際社会における役割を反映していると言えるでしょう。
しかし、パンダは時に、このような差異を超えて両国の人々をつなぐ架け橋となりえます。日本の「ゼロパンダ時代」が現実となる可能性があっても、パンダが育んできた絆は消えることはありません。パンダという稀有な存在を通じて、日中両国が今後も理解と協力を深め、文化交流を促進していくことが期待されます。パンダの未来、そして彼らが繋ぐ日中関係の行方から、今後も目が離せません。