国民民主党・玉木雄一郎代表のポピュリズム:エリート批判と日本の政治潮流

昨年の衆院選で「手取りを増やす」というスローガンを掲げた国民民主党は、玉木雄一郎代表の下、SNSを活用した「ポピュリズム政治」の旗手として支持を広げた。しかし、先の参院選における参政党の躍進により、その存在感は薄れたという指摘がある。この背景には、東京大学出身で元官僚というエリートである玉木氏が、財務官僚など既存のエリート層を批判するという構図に潜む「限界」が見え隠れしている。本稿では、日本の政治における官僚批判とポピュリズムの潮流について考察する。

日本政治における官僚批判の歴史的背景

1994年の小選挙区制導入は、衆院選の政権選択選挙としての色合いを強め、政権交代可能な二大政党制への道を模索する動きを加速させた。これにより、長年自民党に対抗してきた社会党に代わり、中道寄りの民主党が野党第一党へと変貌していく。民主党は、自民党が官僚と密接な関係にあると批判し、「脱官僚」の方針を打ち出して世論の支持を獲得した。これに対し、自民党側も長らく二人三脚で歩んできた官僚機構の改革に着手し、官僚に対する人事権を政治の側へ移す改革を進めた。1990年代から2000年代にかけて、政権与党たる自民党と政権交代を目指す民主党という、与野党双方が官僚に対して厳しい視線を注ぐ時代が始まったのである。

エリート層への不信感とポピュリズムの台頭

このような官僚批判の流れの中で、官僚出身の政治家に対する人気も失われていった。「役人出身の政治家は結局、官僚側の操り人形に過ぎない」という見方が広まったためだ。

さらに踏み込んで言えば、この間、エリート、すなわち「上」に対抗する「下」からの突き上げであるポピュリズムが台頭してきたことと無関係ではないだろう。冷戦の崩壊によって世界秩序は変化し、不安定化。経済的にはバブル崩壊後の長期的な景気低迷が続き、社会全体に閉塞感が漂った。こうした状況下で、それまで順調な国家運営を行ってきたと見なされていた既存権力全体への不信感が募り、ポピュリズムの空気が広がっていった。そこに政治的には、党首の人気を優先する小選挙区制が導入されたことで、社会に蔓延するポピュリズムの空気と相乗効果を生み出し、エリートの象徴である東京大学出身者や元官僚が政治のトップに立つことが敬遠されていった側面がある。

国民民主党代表の玉木雄一郎氏、日本のポピュリズム政治の象徴として国民民主党代表の玉木雄一郎氏、日本のポピュリズム政治の象徴として

玉木雄一郎代表に見る「ポピュリズムの限界」

国民民主党の玉木雄一郎代表は、東京大学出身で元財務官僚というエリート中のエリートでありながら、その批判の矛先を財務省などの既存エリート層に向けるという矛盾を抱えている。この「エリートがエリートを批判する」という構図は、彼が推し進めるポピュリズム政治における一つの「限界」として浮上している。先の参院選で、既存政治への不満を背景に参政党が躍進したことは、有権者の間に新たな形のポピュリズムへの期待があることを示唆している。結果として、玉木氏のポピュリズムの「影が薄くなった」と認識される一因ともなった。国民民主党、ひいては玉木氏がこのパラドックスといかに向き合い、有権者の支持を再び獲得できるかが今後の課題となるだろう。

結論

日本の政治におけるポピュリズムとエリート層への不信感は根強く、国民民主党の玉木雄一郎代表の事例はその複雑な側面を浮き彫りにしている。政党が支持を獲得するためには、表面的なスローガンやSNS戦略だけでなく、社会の時代背景と有権者の深層心理を正確に捉え、その本質的な期待に応える能力が不可欠である。

参考資料

朝日新聞取材班『「言った者勝ち」社会 ポピュリズムとSNS民意に政治はどう向き合うか』(朝日新書)より一部再編集。