2024年7月18日に公開された新作劇場版『「鬼滅の刃」無限城編 第1章・猗窩座再来』は、その快進撃が続いています。特に声優陣の演技は絶賛されており、中でも「上弦の弐」の鬼である童磨を演じた宮野真守さんの怪演は大きな話題を呼んでいます。彼の声は美しさとグロテスクさ、優しさと冷酷さ、そして理性的でありながら狂気に満ちた感情を見事に表現しており、まさに「ハマり役」と評価されています。
童磨は、熱心な童磨ファンからは理知的で優しい人物と評される一方で、その不気味さに戦慄する鬼滅ファンも少なくありません。優しげな口調で話す童磨が、なぜこれほどまでに「怖い」と感じられるのでしょうか。「上弦の参」猗窩座との「人間の食べ方」に対する思考の差から、その理由を探ります。
「鬼滅の刃」上弦の弐・童磨が冷酷ながらも笑顔を見せる様子
「感情がない」と語る童磨の内面:彼の「心配」と「不満」
自らを「感情がない鬼」と認識している童磨ですが、本当に最初から感情が一切なかったのでしょうか。幼少期に万世極楽教の教祖としての役割を背負わされていた頃、彼は信者の言葉に涙を流したことがありました。信者に見せていた姿と、彼の心中にあった思いには大きな隔たりがあり、これは「無感情」とは異なる側面を示しているようにも見えます。しかし、彼自身がそれに自覚的ではないため、やはり「感情がない」という説明がなされるのでしょう。そして童磨は時折、意識的に「感情があるふり」をします。最も印象的だったのは、通称「上弦パワハラ会議」での様子です。
「おっと おっと! ちょっと待っておくれよ猗窩座殿! 俺の心配はしてくれないのかい? 俺は皆を凄く心配したんだぜ!」
(童磨/12巻・第98話「上弦集結」)
童磨は基本的に鬼同士の会話では礼儀正しいのですが、この場面のように、猗窩座がいら立つような言葉を幾度か口にしています。
鬼舞辻無惨への献身と猗窩座への「不満」:鬼としての「真面目さ」
童磨は鬼の始祖である鬼舞辻無惨に対しては敬意を払った態度を取っています。無惨から命じられた様々な“しごと”をこなし、無惨が配下に求める強さを維持・向上させるため、積極的に「人喰い」を行っています。そのためか、無惨の言いつけを部分的に守ろうとしない猗窩座に対して、不満を口にする場面が見られます。
「猗窩座殿って絶対女を喰わなかったからさあ 俺言ったんだよ! 女は腹の中で赤ん坊を育てられるぐらい 栄養分を持ってるんだから 女を沢山食べた方が 早く強くなれるって」
(童磨/18巻・第157話「舞い戻る魂」)
「だけど猗窩座殿って 女を喰わない上に殺さないんだよ! それを結局あの方も許してたし ずるいよねえ」
(童磨/同上)
鬼として強くあらねばならないという童磨の“生真面目さ”が垣間見える発言ですが、そこには猗窩座の意志や心情への配慮は一切見られません。
優しい教祖が「人を喰う」グロテスクな矛盾:救済の真偽
童磨がどれほど「救済」のためだと語ったとしても、そこに神仏への信心が一切ない不遜な無惨の「言いつけを守る」ことを「行動の正義」に含めるのであれば、童磨の「人喰い」に宗教的意義としての救済性を認めることはできません。童磨は鬼として生きたいのか、教祖として生きたいのか?この相反する二つの行為に、彼はどのように折り合いをつけているのでしょうか。
結論として、童磨の怖さは、彼が感情の有無に関わらず、優しげな仮面の下に隠された徹底した冷酷さと、自身の行為を「救済」と称しながら無惨の命に従い人を喰らうというグロテスクなまでの矛盾に起因します。宮野真守さんの演技は、この複雑で底知れぬ童磨のキャラクターを余すことなく表現し、観る者に深い恐怖と魅力の両方を与えているのです。
出典:https://news.yahoo.co.jp/articles/99e4d8db224ee9b48e97977cc06f482d84fb6c8d