長崎県佐世保市で世間を震撼させた女子高生殺害事件から、今年の7月26日で11年の歳月が流れた。2014年、当時高校1年生だった少女A(15)が、同級生を自宅マンションの一室で殺害し、その遺体を解体するという、おぞましい事件が発生したのだ。加害者と被害者が通っていた高校では、今年も追悼集会が執り行われ、事件の記憶を語り継いでいる。クラスメートを殺害し、一心不乱に遺体を損壊する少女Aの所業は社会に大きな衝撃を与えたが、時が経つにつれその記憶は薄れる一方、少年少女による残虐な事件は今も後を絶たない。地元の大物弁護士を父に持ち、恵まれた環境で育ったはずの少女Aは、いかにして「快楽殺人」へと至ったのか。なぜ、彼女の内に“闇の因子”が生まれたのか。本稿では、「週刊新潮」2014年8月7日号に掲載された当時の詳細な取材記事を再録し、事件に至るまでの経緯と背景を改めて考察する。
長崎県佐世保市で起きた女子高生殺害事件の舞台
事件の始まり:Bさんの最後の外出とAとの出会い
全ての発端は、2014年7月25日午後3時頃に遡る。佐世保市の高校1年生だったBさん(15)は、両親に「遊びに行ってくるけん」と告げ、自宅を後にした。その直後、Bさんは自身の高校のクラスメートである少女Aと落ち合ったと見られている。彼女たちが通っていたのは、県内でも有数の進学校として知られる中高一貫の県立高校であった。
捜査関係者の話によれば、二人は待ち合わせて街中で一緒に遊んだ後、佐世保市内のマンションの一室へと入ったという。このマンションは、少女Aがその年の4月から親元を離れ、一人暮らしをしていた部屋であった。Bさんと少女Aは中学時代からの同級生であり、Bさんは何の警戒心も抱くことなく、少女Aの部屋へと足を踏み入れたに違いない。その時、彼女はまさか、目の前にいるクラスメートの心の奥底にどす黒い欲望が渦巻き、決して踏み越えてはならない一線を、少女Aがたやすく踏み越えようとしているとは、夢にも思わなかったであろう。
この事件は、少年犯罪における深い闇と、現代社会が抱える問題点を浮き彫りにした。恵まれた家庭環境に育った少女が、なぜこれほどまでに残虐な行為に走ったのか。その動機や心理に迫ることは、今後の少年犯罪の抑止にも繋がる重要な課題である。本稿は事件の背景を掘り下げる前後編記事の前編であり、この凶悪事件の「闇の因子」について、さらに深く考察していく必要がある。
参考文献
- 「週刊新潮」2014年8月7日号 記事より再録
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