日本の観光界を牽引する異色の存在、大阪観光局理事長の溝畑宏氏。元観光庁長官の経歴を持ちながらも、従来の官僚像とは一線を画すその情熱的で型破りな行動は、常に注目を集めています。グローバルな視野とユーモアを兼ね備え、国内外の観光客を魅了する大阪の立役者として、彼はどのようにして現在の地位を築き、どのようなビジョンを抱いているのでしょうか。本記事では、溝畑氏のユニークな半生から、東日本大震災への深い関わり、そして観光立国日本への熱い思いに迫ります。
「型破り官僚」が歩んだ道:ユーモアと学びのキャリア
溝畑氏のルーツは、京都大学数学科教授だった父親の影響と、6歳から4年間過ごした欧州での生活にあります。この幼少期の経験が、年齢、性別、国籍に関わらず誰とでも打ち解けるグローバルな感覚を育んだと彼は語ります。「プライドや恥の感覚などはとっくに捨てました(笑)」と笑顔で話すその姿は、まさにお笑い芸人のようだと評されることも。しかし、彼が選んだ道は公務員でした。「私を通じて誰かが笑ってくれた時が一番幸せですが、公務員になって日本をもっと素晴らしい国にしたかったんです」と、その選択の背景にある強い使命感を明かします。
東京大学法学部という最高のエリートコースに進んだにもかかわらず、彼は「授業は聞かずに友人たちと将来の日本をどうするか議論ばかりしていました」と学生時代を振り返ります。両親からの仕送りがなく、40種類ものアルバイトを経験したというエピソードもまた、彼の型破りな一面を象徴しています。これらの経験は、彼に「どんな職業でも尊重され、感謝されるべきこと」を悟らせ、後の官僚生活において目上への従い方、目下との付き合い方を身につける上で大きなプラスになったと語ります。司法試験に寝坊したという豪快な失敗談も、彼が既成概念にとらわれない人物であることを示しています。
大阪観光局理事長の溝畑宏氏が大阪・関西万博のマスコット「ミャクミャク」を手に笑顔を見せる様子。ソウル市中区の朝鮮日報本社にて。
東日本大震災と「心の復興」:感動と感謝のエピソード
公務員として最も辛かった時期は、東日本大震災の復興支援だったと溝畑氏は語ります。「福島の復興に私の人生を懸けた時期です」。この困難な時期に、世界中から多くの著名人が支援の手を差し伸べました。特に印象的だったのは、韓国の人気俳優ペ・ヨンジュン氏と、世界的歌手レディー・ガガ氏からの支援でした。
レディー・ガガ氏はニューヨーク・タイムズを通じて日本への応援メッセージを発信し、その後、溝畑氏の招待で来日しました。「私の頬にキスしてくれたときはうっとりしました(笑)」と、当時の感激を語ります。一方、ペ・ヨンジュン氏の「幻想的な笑顔」に魅せられた溝畑氏は、「ヨン様はトイレでもこのようにすてきに笑っているのですか」と問いかけたという、彼らしいユーモラスなエピソードも披露されました。これらの支援者たちへの感謝は、「死ぬまで感謝していきたい」と深く心に刻まれています。
元観光庁長官の溝畑宏氏が、フィギュアスケーターの安藤美姫氏らと共に平昌五輪聖火到着歓迎式に出席している様子。
大阪観光復興の立役者へ:万博への熱き思いと経済効果
観光庁長官を辞任後、溝畑氏が次なる舞台として選んだのは、低迷していた関西地域の観光復興でした。「私は火中の栗を拾う人間なので、喜んでお引き受けしました」と、その挑戦的な精神を語ります。大阪観光局理事長として彼は、「24時間眠らない大阪」「大阪オンリーワン」「統合型リゾート(IR)」など、数々の革新的な計画を推進してきました。
彼にとって大阪は、10歳の時に見た1970年の大阪万博で「驚くべき都市」として心に刻まれた場所です。しかし、退任後にタクシー運転手から「大阪には魅力がない」という言葉を聞き、大きな衝撃を受けました。1500年以上にわたって大陸への関門であった大阪を再び日本の「玄関」とし、そこから他の都市への観光に繋げるべく、日々知恵を絞ってきたといいます。その結果、昨年には大阪が東京を抑え、外国人観光客シェアで1位を記録するまでに回復。「私は『いっしょにやろう!』と叫ぶプロデューサーに過ぎません(笑)」と謙遜するものの、彼のリーダーシップが「溝畑宏効果」として大阪観光に多大な影響を与えたことは間違いありません。
溝畑氏は、観光産業が日本経済を支える重要な柱であると強調します。昨年、外国人観光客の消費額が8.1兆円に達し、半導体や電子部品の輸出額(6.1兆円)を上回ったという事実は、観光が経済成長の原動力であることを明確に示しています。「私が一肌脱いで走り回るのはそのためです」と、観光振興にかける揺るぎない情熱を語りました。
プロデューサーとしての情熱:日本経済を支える観光の力
溝畑宏氏のキャリアは、常に既存の枠にとらわれず、新たな価値を創造しようとする情熱に満ちています。彼の持つユーモアと行動力、そして周囲を巻き込む「いっしょにやろう!」というプロデューサーとしての姿勢が、停滞していた大阪観光をV字回復させ、日本経済における観光産業の重要性を改めて浮き彫りにしました。彼のビジョンは、単なる集客に留まらず、地域の活性化、ひいては日本全体の持続的な発展へと繋がっています。2025年の大阪・関西万博開催を控え、溝畑氏の「型破り」な手腕が、日本の未来にどのような光をもたらすのか、その動向から目が離せません。