「え、4杯目ですか?」隣の席から聞こえる驚きの声。大阪・なんばの和食店で、客たちが次々と白米のおかわりを重ねる光景が繰り広げられていた。真っ白で粒が大きく、つややかな銀シャリは、もっちりとした粘りと噛むほどに広がる甘みが特徴で、茶碗はあっという間に空になる。この尋常ではない「ごはん」の美味しさに引き込まれ、店の運営元を確認すると、そこには意外な企業名が記されていた。他ならぬ、大手家電メーカー「象印マホービン」であった。一体なぜ、炊飯器を製造する家電メーカーが、連日行列の絶えない飲食店を手掛けるのか。その謎を解き明かす鍵は、彼らが追求する独自の「体験価値創造」マーケティング戦略にある。
家電メーカーが飲食事業に参入する背景:象印が目指す「感動」マーケティング
象印マホービンが飲食店経営に乗り出した背景には、単なる製品販売に留まらない、顧客への「感動」体験の提供という明確なマーケティング戦略が存在する。経営企画部 事業推進グループ長の北村充子氏によると、この飲食事業は、自社の炊飯器で炊いた「ごはん」の美味しさを直接顧客に体験してもらうための、強力なセールスプロモーションの一環だという。
2018年に大阪・なんばの複合商業施設「なんばスカイオ」6Fにオープンした「象印食堂 大阪本店」は、路面店ではないにもかかわらず、コロナ禍を除いて常に“行列の店”として知られている。さらに、2023年にはJR東京駅直結の「KITTE丸の内」5階に2号店を開店。こちらも連日1時間以上の待ち時間が発生するなど、その人気は衰えを知らない。客層の中心は、食への意識が高く、生活に余裕のある40~50代の女性だが、休日にはファミリー層、夜には仕事帰りのビジネスパーソンも「きちんと美味しいごはん」を求めて訪れる。
大阪・なんばスカイオ6Fに位置する象印食堂 大阪本店の外観。モダンで清潔感のある入り口が行列の期待感を高める。
最上位モデル「炎舞炊き」で炊き上げる至福の白米
象印食堂がこれほどまでに顧客を惹きつける最大の目玉は、まさに「ごはん」そのものだ。彼らが提供するのは、象印が誇る炊飯器の最上位モデル「炎舞炊き」で丁寧に炊き上げられた白米。店内では常時3種類の炊きたてのごはんが用意されており、しかもこれらがすべて食べ放題となっている点が、客の心を掴んで離さない。
「真っ白で粒が大きく、つやがある銀シャリ。もっちりと粘りがあり、噛むと甘みがぶわっと広がる味わい」という、その比類なき美味しさは、まさに至福の体験である。この極上のごはんを心ゆくまで味わえることが、客が何度もお替わりしてしまう理由であり、象印食堂が「ごはんがおいしい」と評判になる所以なのだ。炊飯器メーカーとしての専門性を最大限に活かし、製品の真価を味覚として直接伝えることで、象印は新たな顧客体験の創造に成功している。
まとめ:家電メーカーの新たな挑戦
象印食堂の成功は、単に美味しい料理を提供する飲食店という枠を超え、家電メーカーがその製品の核となる価値を、消費者に「体験」として届けるという新たなマーケティングモデルを確立したことを示している。炊飯器という製品の魅力を言葉やスペックだけでなく、実際の「ごはん」の美味しさという形で直感的に伝えることで、顧客の深い共感と信頼を獲得している。この「体験価値創造」という戦略は、今後、他の分野の企業にとっても、顧客エンゲージメントを高めるための重要なヒントとなるだろう。象印マホービンは、家電メーカーとしての専門性と、飲食事業における顧客体験の融合により、新たなビジネスの可能性を切り拓いている。