天皇皇后両陛下、モンゴル歴史的ご訪問:戦後抑留者慰霊と心温まる交流の軌跡

ウランバートルのダンバダルジャーの丘に広がる静寂な空間で、天皇皇后両陛下が日本人抑留者の慰霊碑に深々と黙祷を捧げられた。慰霊を終え、その場を離れようとされた時、降り続いていた雨が不思議と止んだ。雅子さまの「もう1度、1礼しましょうか」との言葉に、両陛下は再び傘を預け、慰霊碑に向かって丁寧に拝礼された。この心揺さぶる一幕は、両陛下のモンゴル公式訪問が持つ歴史的意義と、深いお心遣いを象徴している。

天皇皇后両陛下、モンゴルへの歴代初公式訪問の深意

2024年7月6日から13日までの8日間、天皇皇后両陛下はモンゴルを公式訪問された。これは歴代の天皇皇后にとって初となる歴史的な訪問であり、特に注目されたのが、訪問3日目に行われた日本人抑留者慰霊碑への供花だった。宮内庁関係者によると、この行事は公式スケジュールには含まれていなかったものの、訪問の目的において極めて重要な位置づけがなされていたという。

戦後、旧ソ連に抑留された約57万人の日本人のうち、約1万4000人が遠くモンゴルへ移送され、その地で約1700人が命を落とした。終戦わずか3ヶ月前に召集され、モンゴルで命を落とした鈴木富佐江さん(88)の父親もその一人である。

慰霊碑への供花後、両陛下は日本から駆け付けた鈴木さんと言葉を交わされた。鈴木さんは、雨が奇跡的に止んだことに触れ、「両陛下がもう1度、慰霊碑に拝礼されるお姿を見て、奇跡というものがあるんだと思いました」と万感の思いを語った。天皇陛下は「お父様が亡くなり、ご苦労をされてきたんですね」と優しい眼差しで鈴木さんに寄り添われた。

モンゴルご訪問中の雅子さま。現地での心温まるご交流の一場面モンゴルご訪問中の雅子さま。現地での心温まるご交流の一場面

雅子さまの心温まるご交流と愛子さまへの深い思い

雅子さまは鈴木さんとの対話の中で、開口一番「ご立派な歌を残されて、本当によかったですね」と述べられた。これは、モンゴルに抑留された日本人が当時歌っていた歌を、抑留経験者や声楽家の協力のもと、鈴木さんが譜面化し、読売新聞の記事とDVDとして宮内庁に送っていたことに触れたものだった。雅子さまがその歌を実際に聞いていらっしゃったことに、鈴木さんは深く感激したという。

さらに、雅子さまと鈴木さんの会話は、長女の愛子さまの話題へと及んだ。鈴木さんが日本赤十字社の奉仕活動に長年取り組んできた経験を話すと、雅子さまの表情は一変し、「愛子もお世話になっています。これからもどうかよろしくお願いします」と、まるで母親のような温かい笑顔で語られた。愛子さまが日本赤十字社に就職されたことに触れ、その活動への期待と感謝の気持ちを伝えられた瞬間だった。

皇太子時代、天皇陛下は2007年7月にモンゴルを訪問されている。しかし、雅子さまにとっては、今回が悲願の初訪問であり、18年越しの思いが実った形となった。当時の皇室担当デスクによると、雅子さまはご体調が優れず、同行を断念せざるを得なかった経緯があるという。まだ5歳だった愛子さまを1週間以上も離れることへの不安やストレスも懸念されていたようだ。

モンゴルは、幼い頃から相撲を愛し、“スー女”としても知られる愛子さまにとって、特別な親近感を抱く国でもある。天皇陛下も今回の訪問前の会見で、前回のモンゴル訪問を振り返りつつ、朝青龍をはじめとするモンゴル出身力士の活躍が愛子さまがモンゴルに親しみを持つきっかけとなったことに言及された。愛子さまが朝青龍の本名「ドルゴルスレン・ダグワドルジ」を覚えるほどだったというエピソードは、皇室とモンゴルの間に築かれた微笑ましいつながりを物語っている。

今回のモンゴルご訪問は、両陛下の国際親善と、過去の歴史に対する深い敬意を示すものであり、両国間の友好関係を一層深める貴重な機会となった。特に、戦後抑留者の慰霊と、それを巡る心温まる交流は、歴史を未来へと繋ぐ重要なメッセージを国内外に発信したと言えるだろう。


Source link