“辞め参”「目が覚めた」の語り口に思う 安倍政権とコロナ禍が生んだ参政党の危うさ 北原みのり


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【写真】記者会見に臨む参政党の神谷宗幣代表

 オウム真理教により地下鉄サリン事件から今年で30年。1995年は日本社会が「カルト」というものの存在を目の当たりにした年だった。カルトとは私たちの身近にあり、そこには陽があたることもあり、人は自ら志をもってそこに集い、熱狂し、自らの人生をかける覚悟もあるのだと知った。また、社会的な弱者がカリスマ指導者にすがるだけではなく、高学歴者や高所得者のような社会的に恵まれていると思われる人であっても心酔することも知った。

 私の知人にもオウム真理教に入った人が2人いる。あの時代、東京の大学にはたいていオウム真理教の熱心な勧誘者が入り込んでいた。知人の一人はヨガをきっかけにオウムに入信し、サティアンで暮らしていた。後に脱オウムした彼女の話を聞く機会があったが、組織の末端にいた彼女の体験は衝撃だった。目が見えないという教祖のために「美人投票」をしていたこと、どうやら1番になった女性は教祖の寝室に連れていかれたらしいこと、ときどき「姿を消す」人がいたこと、もしかしたら死んだのかなと思いつつ誰もその人の存在を口にしなかったこと。全ての情報は噂話として語られるので何が真実かわからない。ただ、自分たちは真理を追究しているからこそ迫害されている、だから結束しなければならないのだと信じていた。

 もう一人の知人はオウムの騒動の最中に命を落とした。なぜオウムに入ったのかを聞くことは叶わなかったけれど、今にして思えば、彼は宗教2世だった。母親が新興宗教にはまっていて、近所の人を熱心に勧誘し迷惑がられていた。宗教2世の彼からすれば、オウムは母親が信じていたものよりもマシ、と思えたのだろうか。

 この国はカルトによる史上最悪のテロを90年代に体験した。その後、政権と深い関係にあった別のカルト集団の被害者によって元首相が暗殺された。2つのカルトが起こした事件は、この国を生きる私たちにトラウマとして刻まれながらも、私たちはカルトに真正面から向き合ってきたといえるだろうか。



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