先ごろ亡くなった中曽根康弘元首相は韓国では最も有名な日本の政治家として記憶される。憲法改正や「戦後政治の総決算」、靖国神社参拝、自主防衛など韓国にとっては気に入らない主張の持ち主だったが“親韓派”とみられ人気があった。1983年1月、歴代首相では初めて韓国を訪問し、しかも首相就任後、最初の外国訪問先に韓国を選択し、韓国を喜ばせた。
歓迎晩餐(ばんさん)会のスピーチを韓国語で行い、韓国語の歌まで披露したことが語り草になっているが、記憶でいえば戦後、初めてソウルの街に「日の丸」が翻ったことが鮮明に思い出される。韓国ではそれまで商店街などのイベントの万国旗でも「日の丸」だけは見当たらない時代だった。
中曽根氏は近隣外交を重視し、近隣とうまくやってこそ対米関係をはじめ国際外交で力を発揮できると考えていた。回顧録『中曽根康弘が語る戦後日本外交』では「韓国相手の折衝は官僚的な手法では決して成功しません。政治的、商人的手法で扱った方が成功しやすい」と語られている。
「商人的手法」とは意外な感じがするが、理屈より利の計算、取引ということだろうか。あるいはドライな現実主義外交? その親韓的言動は韓国を取り込むための計算された演出だったか? それも決断力があってのことだが。(黒田勝弘)