長崎原爆:二度目の「めちゃくちゃ」なミッションが語る真実

「広島への原爆投下は完璧なミッションだった」と、エノラ・ゲイの航法士だったバンカークは後に語った。しかし、そのわずか数日後に長崎に投下された二発目の原子爆弾「ファットマン」を巡るミッションは、彼の言葉を借りれば「めちゃくちゃ」なものであり、あらゆる面で困難を極めた。この二つの作戦が対照的であった背景には、どのような事実が隠されていたのだろうか。

広島と長崎への原爆投下後に立ち上ったキノコ雲。左が広島、右が長崎を示す。広島と長崎への原爆投下後に立ち上ったキノコ雲。左が広島、右が長崎を示す。

長崎原爆:当初の目標と計画の変更

当初、二発目の原爆投下目標は長崎ではなく、そこから北へ約200キロ離れた小倉市だった。当時、小倉は日本国内でも有数の軍需工場が集積する戦略的に重要な都市であったため、広島が壊滅した後、新たな第一目標として選定されたのだ。長崎は、小倉への攻撃が視程不良によって困難になった場合の代替地として準備されていた。

この計画にはさらに重要な変更が加えられた。二発目の投下は、本来であれば広島への原爆投下から5日後の8月11日に予定されていた。しかし、接近する台風の影響を考慮し、急遽前倒しされることになったのである。二発目の原子爆弾「ファットマン」を積んだB29爆撃機「ボックスカー」に兵器担当として搭乗していたフレデリック・アッシュワースは、サンタフェの自宅での取材に対し、「広島の後に、すぐさま二発目をドカンと落としてやろうという方針になった」と当時の状況を明かした。この証言は、日本に早期降伏を促すという米国の強い意志と、作戦の緊迫感を浮き彫りにしている。

「ファットマン」の性能と秘められた威力

アッシュワースが語る二発目の「ドカン」こと「ファットマン」は、広島に投下されたウラン型原爆「リトルボーイ」とは根本的に異なるタイプであった。「ファットマン」は、濃縮ウランではなくプルトニウムを燃料とし、その性能は「リトルボーイ」をはるかに凌駕するとされていた。

物理学者であるアグニューは、プルトニウムが入ったケースを自身が持ち運ぶ姿を捉えた一枚の写真を筆者に見せた。そこには、わずか6キロほどの小さなケースを左手に持ち、カメラに向かって笑顔を見せる若き日の彼が写っていた。その取るに足らないように見える物体に、都市一つを丸ごと消滅させるほどの恐るべき威力があるとは、当時の誰もが想像しえなかっただろう。この信じられないほどの破壊力を秘めた兵器が、わずか数日の間に日本に二度投下されたという事実は、現代に生きる我々に改めて戦争の悲劇と核兵器の脅威を訴えかけている。

まとめ

広島への原爆投下が「完璧なミッション」と称された一方で、長崎への「ファットマン」投下は、目標変更、天候による日程前倒し、そして新型爆弾の運用という多くの不確実性を抱え、「めちゃくちゃ」な状況の中で実行された。フレデリック・アッシュワースやアグニューといった関係者の生々しい証言は、歴史の裏に隠された緊迫した状況と、その後の悲劇的な結末へと繋がる過程を具体的に物語っている。これらの貴重な記録は、私たちが戦争の記憶と向き合い、平和の尊さを深く理解するための重要な手がかりとなるだろう。


参考文献