◇大事なことはみんな澤地さんに教わった 講談社本田靖春ノンフィクション賞受賞作家 石村博子さん
ミッドウェー海戦の死者と家族の人生を日米双方から描いた『滄海よ眠れ ミッドウェー海戦の生と死』が、新装版の毎日文庫(全5巻)として小社から出版された。著者のノンフィクション作家、澤地久枝さんを取材助手として約4年間支えたのが、今夏、『脱露 シベリア民間人抑留、凍土からの帰還』(KADOKAWA)で第47回講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞した石村博子さんだった。戦死者一人ひとりの身元を、いかにして計3418人(日本3056人、アメリカ362人)まで特定したのか。そして、澤地さんは戦死者の家族にどのように寄り添い、執念ともいえる取材を重ねていったのか―。40年前を振り返り、石村さんに寄稿してもらった。
◇ファンから取材助手に
「今度『サンデー毎日』でミッドウェー海戦のことを連載するのだけれど、かなり大掛かりな仕事になりそう。あなた、取材助手になりませんか?」という思いもかけないお話を澤地久枝さんからいただいたのは、1980年初秋だった。
その2カ月ほど前、ある女性誌の人物特集のページに澤地さんを書いた記事を気に入ってくれたというのだ。いや、出会いのきっかけはもう少し前にあった。
『妻たちの二・二六事件』『密約 外務省機密漏洩事件』を読み、澤地さんのファンになっていた私は『火はわが胸中にあり 忘れられた近衛兵士の叛乱 竹橋事件』を読んだ後、無念の想いに応えようとする一念に撃たれ、短い手紙を書いたのだ。2週間ほどすると思いがけない返事が届いた。
「つらく、孤独な仕事なのでお便り心に沁(し)みました」
何て丁寧な人なのだろうと、滋味(じみ)のある独特の筆致を見つめたものだ。後に澤地さんは何をさしおいても返事を書きたい手紙があるものだと語ってくれた。
そのときの手紙には自分自身については何も伝えていなかった。






