百貨店改革の光と影:元三越伊勢丹HD社長・大西洋氏が挑んだ「販売員年収1000万円」の衝撃

日本の流通業界、特に百貨店業界が変革の波にさらされる中、三越伊勢丹ホールディングス(HD)元社長である大西洋氏は、その生き残りをかけ大胆な構造改革を次々と実行しました。しかし、その革新的な試みは、時に大きな波紋を呼び、彼自身が会社を去るという事態にまで発展しました。本記事では、大西洋氏が「ミスター百貨店」とまで称されながらも直面した苦難と、特に注目された販売員の年収を最大1000万円台に引き上げるという成果給制度の導入が、百貨店の未来にどのような影響を与えたのかを詳細に掘り下げていきます。

百貨店再編と大西洋氏の改革着手

日本の二大百貨店「三越」と「伊勢丹」が持ち株会社を設立し、店舗事業の統合を完了したのは2011年のことでした。この統合を経て、業績低迷が続く状況を打破すべく、ホールディングスの初代会長兼CEOから伊勢丹社長を任された大西洋氏は、三越・伊勢丹の両ブランドを横断する大規模な構造改革を推進。翌2012年にはHD社長に就任し、改革の旗振り役を担いました。数多ある改革プランの中でも、最も革新的であり、同時に最も深刻な反発を招いたのが、売り場の販売社員を対象とした「成果給制度」の導入です。これは、前編で紹介された「仕入れ構造改革」と密接に連携し、買取で仕入れた商品の魅力を顧客に伝え、購買へと繋げるべく、販売現場を鼓舞するための一体的な制度として導入されました。

三越伊勢丹HD元社長・大西洋氏が語る百貨店改革の情熱と挑戦三越伊勢丹HD元社長・大西洋氏が語る百貨店改革の情熱と挑戦

販売員「成果給制度」の衝撃と実績

この成果給制度は、当時の販売員の平均年収が「350万〜400万円台」(大西洋氏談)であったところを、個々の実績に応じて最大1000万円台にまで引き上げるという、業界では前例のない内容でした。その結果、制度導入初年度である2015〜16年には、約5000人の販売スタッフの中から、なんと約100人ものトップ社員が、役員クラスに匹敵する報酬を獲得するという驚異的な成果を上げました。これは、百貨店業界の長年の慣習を打ち破る、まさに「下剋上」とも言える現象を引き起こしました。

大西洋氏の販売職へのこだわりと現場の変革

大西洋氏がこの成果給制度に強い思いを抱いていた背景には、彼自身が入社当初に販売職を経験したことが深く関係しています。社長就任後、「販売員」という呼称を「スタイリスト」に改めたのも、顧客と直接向き合う最前線の社員たちに光を当て、その価値を高めたいという彼の願いが込められていました。

大西洋氏は自身の販売経験を振り返り、「販売の3年間は、私にとって間違いなく人生の転機でしたね。百貨店において販売の仕事が一番きつい。お客さまの立場になってその場で考えて動くし、トイレにもいけない。とにかくきつい。でも、お客さまと接することがものすごく自分の成長につながります。それを教えてもらったのが、販売の仕事でした」と語っています。実際に、一人で1日に30万円以上、年間で数千万円から億単位を売り上げる「カリスマ販売員」は少なくありませんでした。宝飾品のような高単価商品だけでなく、アパレル(洋服)など難易度の高い分野で成果を出すには、並々ならぬ努力や才能が求められます。富裕層を担当する外商担当者ではなく、一般の売り場に立つスタイリストの中にも、そのような高難易度の目標を達成する後輩や先輩たちの姿があり、大西洋氏自身も彼らから大きな刺激を受けていたと明かしています。

年功序列からの脱却と「下剋上」

従来の百貨店の報酬体系は、一般的な日本企業と同様に、年功序列や終身雇用といった保守的なヒエラルキー構造が強く根付いていました。職種別に見ても、外商、バイヤー、管理部門に比べて、顧客の最前線に立つ販売職は低い位置付けにありました。このような長年固定化されてきた構図に対し、大西洋氏が導入した成果給制度は、個人の能力と実績に基づいて報酬が決定されるという、「下剋上」を可能にする画期的な仕組みを組み込んだのです。

結論

元三越伊勢丹HD社長・大西洋氏が推進した一連の百貨店改革、特に販売員への成果給制度導入は、業界に大きな変革をもたらしました。これは、百貨店が従来の年功序列型雇用から脱却し、実力主義を取り入れることで、販売現場のモチベーションを高め、顧客サービスの質を向上させようとする意図がありました。実際に短期間で目覚ましい成果を上げた社員も存在しましたが、同時に伝統的な百貨店の文化や組織構造との摩擦も生じました。大西洋氏の挑戦は、百貨店が現代の消費者のニーズに応え、激しい競争の中で生き残っていくための、避けては通れない構造改革の難しさと、その先にある可能性を浮き彫りにしたと言えるでしょう。

参考資料