誰とも遊ばなかった中学時代の夏休み:学校に行きたくなかったあの頃の自分

毎年夏が来ると思い出すのは、好きではなかった中学生の頃の自分です。同級生と一度も会わなかった夏休みの虚しさ。学校に自分の居場所がないと感じていたため、長い夏休みは嬉しいはずでした。しかし、結局学校の誰とも遊ぶこともなく、ただ寂しさだけが残ったのです。新品のままの教科書、出せなかった提出物、学校に置きっぱなしの体操服、そしていつも忘れる給食袋。当時の私は、なぜ何もできなかったのだろうと、今でも自問自答することがあります。

忘れ物が当たり前だった、学校での居場所のなさ

提出物を期限内に出さないと、名前が黒板に書かれる仕組みでしたが、私の名前はいつもそこに残り続けていました。時間割も確認せず、翌日の準備もせず、何を持って行けばいいのかもよく分かっていなかったのです。忘れ物は日常茶飯事で、夏休みの宿題ドリルも読書感想文も、自由研究も最後までやり遂げたことがありませんでした。「忘れた」「していない」が当たり前になり、みんなはできているのに自分はできない、それがどれほど恥ずかしいことなのか分かっていながらも、どこか他人事のように上の空でした。

中学時代の夏休み、友達と会えず新品のままの教科書と出せない提出物に悩む生徒中学時代の夏休み、友達と会えず新品のままの教科書と出せない提出物に悩む生徒

大人になって見つけた、過去の自分への答え

そんな過去の自分を、心のどこかでずっと「なぜ?」と責めていました。しかし、大人になった今、ふと疑問が浮かびます。「今の自分ならきちんとできるはずなのに、どうしてあの頃はできなかったのだろう」。今の私は、毎日掃除機をかけ、キッチンや水回りも清潔に保ち、洗濯物も溜めずに毎日洗い、服や持ち物も前日にきちんと準備します。仕事に向けての準備も忘れません。これらはすべて当たり前のことかもしれませんが、過去の自分からすると想像もできないほどの大きな変化です。

「学校に行きたくなかった」という心の叫び

かつての私は本当に何もできませんでした。でも、なぜあの頃はそうだったのか。それは、「学校に行きたくなかった」という心の叫びだったのだろうと思います。教室にいても、どこかに取り残されたような気持ちで、自分の存在が浮いているように感じていました。周りの子たちのように振る舞えず、馴染めなくて「ここにいていいんだ」と思えなかったのです。常に上の空だったのも、いつも現実から逃避していたからかもしれません。朝、制服を着て家を出た後、そのまま学校に向かわず、母が仕事に出かけたのを見計らって家に戻ったり、公園で時間を潰したりしたこともあります。「行ったふりをして、そのままどこかに消えてしまいたい」。そんな思いが、心のどこかにずっとありました。

あの頃の「できなかった」自分は、決して怠けていたわけではなく、「行きたくない」という強い感情に囚われていたのかもしれません。大人になり、過去の自分を客観的に見つめ直すことで、当時の心の状態と向き合い、理解を深めることができました。

Source: https://news.yahoo.co.jp/articles/ec5a4c0d8112c8b5d5e173f123246fbd9c4c1d2e