石野理子、衝撃作『私、オルガ・ヘプナロヴァー』を語る:チェコスロバキア最後の女性死刑囚が問いかけるもの

2023年にソロ活動を開始し、同年8月にはバンドAoooを結成したアーティストの石野理子。彼女が長年の映画愛を綴る連載「石野理子のシネマ基地」において、今回は実在の人物を描いた衝撃作『私、オルガ・ヘプナロヴァー』(2016年)を深く掘り下げます。1973年、チェコ・プラハでトラックを暴走させ8名の命を奪い、2年後に死刑が執行されたチェコスロバキア最後の女性死刑囚、オルガ・ヘプナロヴァー。彼女が残した「私、オルガ・ヘプナロヴァーは、あなた方の残虐性の犠牲者。安すぎる代償としてあなた方に死刑を宣告する。」という声明文は、今なお強い問いを投げかけます。

『私、オルガ・ヘプナロヴァー』のあらすじと映画的視点

映画は、この22歳の若き女性が凶行に及んだ背景を、エモーショナルな表現を排したモノクロ映像で描き出します。裕福な家庭に育ったオルガ(演:ミハリナ・オルシャンスカ)は、両親からの無関心と虐待、そして社会からの疎外により心を深く傷つけられ、精神を擦り減らしていきます。復讐という名の自殺を望む彼女は、自らを虐げてきた社会へ罰を下す旨の犯行声明を新聞社に送りつけました。

厳格な監視社会下に置かれた1970年代のチェコスロバキアという時代と、現代を生きる私たちの社会の間に共通点を見出す本作のまなざしは、観る者に強い示唆を与えます。映画の描写は、単なる事件の再現にとどまらず、個人が社会の中で経験する孤独や絶望、そしてそれがどのように極端な行動へと繋がっていくのかを冷静に、しかし深く追求しています。この映画は、現代の日本社会が抱える問題とも無縁ではない、普遍的なテーマを扱っていると言えるでしょう。

石野理子、魂を揺さぶられた「荒野にいた彼女」

[石野理子、衝撃作『私、オルガ・ヘプナロヴァー』を語る:チェコスロバキア最後の女性死刑囚が問いかけるもの

石野理子、映画「私、オルガ・ヘプナロヴァー」について語る]

映画を観終えた瞬間、「あぁ、これは私が観るべき映画だった」と、胸の奥底から静かな確信が湧き上がる運命的な感覚に、石野理子もまた心を掴まれたと言います。孤独な探求にも似た映画鑑賞という行為の中で、『私、オルガ・ヘプナロヴァー』は彼女にとってかけがえのない気づきを与えた作品となったのです。

チェコスロバキア最後の女性死刑囚という惹句に導かれて鑑賞した彼女の目に映ったのは、10代の頃の自分自身のような少女の姿でした。オルガは、凍てつき、社会に対する強い不信感を鋭い棘のように全身に宿していました。愛情と信頼が欠如した両親からの虐待とネグレクトという「荒野」で育ち、学校、職場、そして精神病棟でさえもいじめの標的となったオルガ。同性愛者としての愛の渇望も挫折に終わり、彼女は自らの内なるブラックホールへと静かに飲み込まれていきました。石野理子はこの映画を通して、人間の心の奥底に潜む闇と、それが社会といかに深く結びついているかを痛感し、深い共感を覚えたと語っています。

『私、オルガ・ヘプナロヴァー』は、単なる歴史的事件を描いた作品ではなく、個人の絶望がどのようにして社会への憤りへと昇華され、最終的に悲劇的な結果を招くのかを深く問いかけるものです。石野理子によるこのレビューは、映画が持つ力を改めて示し、観る者に対しても社会の片隅に追いやられた人々の声に耳を傾けることの重要性を訴えかけています。この作品が示す社会の病巣は、現代の日本が直面する課題にも通じる普遍的なメッセージを含んでいると言えるでしょう。

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