静岡県伊東市の学歴詐称問題が全国的な注目を集める中、「自治体のトップは多くの苦労を抱える」と語る人物がいる。それは、21年間で5期にわたり千葉県鎌ケ谷市長を務めた清水聖士氏(64歳)だ。彼は今年7月に出版した著書『市長たじたじ日記』(三五館シンシャ)の中で、市長という公職の知られざる実態と、その重圧について赤裸々に明かしている。本稿では、清水氏の肉声を通じて、一般的なイメージとは異なる「市長の仕事」の舞台裏、そしてその職が個人の生活、ひいては家族にまで及ぼす影響に迫る。
清水聖士元鎌ケ谷市長が民主党(当時)の菅直人代表(左)から応援演説を受ける様子。2002年7月、市長選の際に撮影された、若き日の市長と政治家の交流を示す貴重な一枚。
市長の「深夜勤務」と予想外の執務環境
清水氏によれば、市長の多忙な一日は定時で終わらない。「日中は議会が続き、夕方からは消防団や各種組合など地元関係者との会食が毎日のように組まれます。それらがようやく終わって市役所に戻り、秘書課に届いた未決済書類に判を押すのが、夜9時以降、まさに市長の仕事の本番でした。」と語る。特に就任3期目までは、市長室にエアコンがなく、真夏には30度を超える室温の中で、窓を全開にし、時には裸同然の姿で夜11時過ぎまで書類と格闘する日々を送っていたという。
昼食一つにも、公人ならではの気苦労があった。就任当初は職員食堂を利用していたが、「庶民派だね!」といった市議会議員の大声に、周囲の目が気になりだした。そのため、2期目からは近くのショッピングセンターのフードコートへ移ったが、顔が知られるにつれ、市民の視線やひそひそ話に悩まされるようになる。最終的に、落ち着いた場所は市長室だった。コンビニエンスストアで500円ほどの弁当を買い、誰の目も気にせず10分で食事を済ませると、ソファで25分間の仮眠を取るのが日課となった。この仮眠が、午後の議会での集中力を保つ上で非常に有効だったと彼は振り返る。
政治の板挟みと個人的な出費の重圧
鎌ケ谷市長の年収は手取りで約1200万円だったが、個人的な出費も多く、生活に余裕はなかったと清水氏は明かす。特に頭を悩ませたのは、地元選出の国会議員からの政治資金パーティーの招待状だった。「市長として出席せざるを得ず、時には2万円のパーティー券を10万円分も購入させられることがありました。」と彼は言う。公費での支出も検討したが、市長の交際費公開を選挙公約として掲げていたため、「〇〇議員のパーティー券を10万円分購入」とは公にできなかった。結局、泣く泣く自腹を切るほかなかったという。
補助金や地方交付税を受け取る自治体のトップとして、国との関係にも常に気を配る必要があった。2003年11月の衆議院選挙では、自民党候補の応援に当時の小泉純一郎首相が鎌ケ谷市を訪れた際、清水氏は板挟みとなる。彼は2002年7月の初当選時、民主党(当時)から支援を受け、菅直人代表(当時)が応援演説に駆けつけてくれた経緯があったためだ。「小泉首相の演説に同席すれば民主党に義理が立たない。かといって参加しなければ、保守系の市民から批判されかねない…」。苦肉の策として、清水氏は演説当日、静岡県で開催された全国青年市長会に出席し、公務であることを理由にした。しかし、自民党系の市議からは「現職総理が市に来たのに顔を出さなかった」と非難され、「次期市長選では保守系の対抗馬を立てる」という声まで上がったという。広島県出身の彼は、まさに「落下傘候補」としてオロオロするばかりだったが、幸い対抗馬が立つことはなかった。
公職が家族にもたらす「見えない代償」
市長という公職は、本人だけでなく、時に家族にも影響を及ぼす。清水氏は妻に多大な苦労をかけたと語る。彼の選挙の出陣式でのこと、あるベテラン市議の挨拶順を間違え、若手議員の後回しにしてしまったのだ。激怒したベテラン議員から抗議の電話が入り、その謝罪に向かったのは妻だったという。市議は怒り心頭で、妻は土下座し、床に頭をこすりつけて事を収めたそうだ。「この土下座事件は、選挙が終わって初めて妻から聞かされました。私にとって妻は、ベテラン議員よりも恐ろしい存在です。その代償としてブランド物のバッグを求められ、もちろん私は要求を飲みました。」と彼は語る。
娘にも、公職の影が忍び寄った。小学生だった娘の誕生日会に親しい友人5~6人を自宅に招いた際、「市長は娘と仲良しの子どもだけを呼んで派閥を作っている」という妙な噂が流れた。清水氏にそのような意図はなかったが、変に勘繰られることを避けるため、以後、誕生日会の開催も、友達の会への参加もやめさせたという。「娘はさぞ悲しかったと思います」と、親としての胸の内を明かす。さらに、小学校卒業後も鎌ケ谷市内の中学校へ進学すれば「市長の娘」として注目されることを懸念し、妻と相談の上、娘を受験させ、市外の中高一貫女子校へ入学させることにした。「娘も賛成してくれましたが、大半の友達は同じ公立中学校へ進学する。親として胸が痛みました。」
地方政治の厳しさ:公職の重圧を乗り越える
元鎌ケ谷市長の清水聖士氏の経験は、市長という特別な役職が、華やかな公務の裏でいかに個人的な負担や家族への犠牲を伴うかを生々しく示している。深夜に及ぶ業務、人間関係の複雑さ、そして家族にまで及ぶ影響など、その現実は「キレイごと」では済まされない。伊東市長の学歴詐称問題から浮かび上がった地方自治体のトップのあり方について考える上で、清水氏が語る市政の舞台裏は、公職の重圧と地方政治の厳しさを理解するための貴重な情報源となるだろう。彼の証言は、単なるスキャンダル報道に留まらず、地方公務員の現実、ひいては社会を支える様々な公職の難しさに改めて目を向けるきっかけを与えてくれる。
参考資料
- FRIDAYデジタル: https://friday.kodansha.co.jp/
- Yahoo!ニュース: https://news.yahoo.co.jp/articles/5c1e77009144a742df34e87eaed3f5b327b5bed1
- 清水聖士 著, 『市長たじたじ日記』, 三五館シンシャ, 2023年.