NHK連続テレビ小説「あんぱん」は、女優の今田美桜がヒロインを務める注目作として、その展開が毎回大きな話題を呼んでいます。特に第97回で描かれた、代議士・薪鉄子(戸田恵子)が秘書の柳井のぶ(今田美桜)を解雇するという衝撃的な場面は、多くの視聴者に驚きを与えました。戸田恵子が6年ぶり6回目の朝ドラ出演で見せた圧倒的な存在感と、のぶを東京へと導いた“メンター”としての鉄子の行動の裏には、どのような意図が隠されていたのでしょうか。今回は、この重要な局面における鉄子の作劇と、戸田恵子起用の舞台裏について、制作統括の倉崎憲チーフ・プロデューサー(CP)のコメントを交えながら深く掘り下げていきます。
「あんぱん」第97回:薪鉄子、柳井のぶを解雇する衝撃展開
中園ミホ氏がオリジナル脚本を手掛ける朝ドラ通算112作目となる「あんぱん」は、国民的アニメ「アンパンマン」の生みの親である漫画家・やなせたかし氏と妻・暢さんをモデルに、激動の時代を生き抜いた夫婦の物語を描いています。
第97回では、柳井のぶ(今田美桜)が仕事のスケジュールで埋め尽くされた黒板を目にして声を弾ませる一方、夫の柳井嵩(北村匠海)はため息をつくばかりという対照的な状況が描かれました。そんな中、のぶは薪鉄子(戸田恵子)から予想だにしない言葉を告げられます。
朝、鉄子はのぶに対し、「のぶさん、あなたは私の秘書にふさわしくないと判断しました」「ご主人とあなたが路頭に迷わないよう、仕事は世話するから」「お互いのために、これが一番いい方法なのよ。ここにいても、あなたの探しているもの(逆転しない正義)は見つからないわ。(涙をこらえ)6年間、ご苦労さまでした」と告げました。この突然の解雇宣告に、のぶは愕然とします。弱き者に手を差し伸べるという志に共鳴し、戦後間もない頃から“ガード下の女王”であった鉄子の秘書を務めてきたのぶの生活は、この一言でピリオドが打たれたのです。
薪鉄子の”親心”と八木信之介の洞察
のぶを解雇した後、鉄子は八木信之介(妻夫木聡)の雑貨店を訪れます。そこで彼女は、「のぶさんみたいに清らかな人には、あての秘書は務まらんき」と語ります。これに対し八木は、「あんたの方が怖くなったんじゃないのか。彼女といると、自分の清らかな部分を思い出して、泥水飲めなくなりそうで」と、鉄子の心の奥底にある真意を突く言葉を投げかけました。鉄子は「ホンマに、嫌なことしか言わんねぇ。もう、ここには来んき。あてもそう暇やないきね」と返しながらも、その核心を突かれたことに動揺を隠せない様子でした。このやり取りから、鉄子がのぶを突き放した行為が、単なる解雇ではなく、のぶの成長を願うがゆえの“親心”であったことが示唆されます。
歴史的事実とドラマの巧みな脚色
ドラマ「あんぱん」は、やなせたかし氏夫妻の人生をモデルにしていますが、史実と創作が巧みに融合されています。実際に暢さんは、やなせ氏より先に高知新聞社を退職し、上京して議員秘書を務めた過去があります。しかし、史実におけるこの代議士は男性でした。今作では、この設定に巧妙なアレンジが施され、女性代議士である薪鉄子が登場することで、物語に深みと説得力が加えられています。この改変は、戸田恵子のキャスティングと深く関連していることが、制作統括の倉崎CPの言葉から明らかになります。
戸田恵子起用の舞台裏と「アンパンマン」との深いつながり
女優であり声優でもある戸田恵子は、1988年のアニメ「それいけ!アンパンマン」放送開始以来35年以上にわたり、主人公アンパンマンの声を担当し続けています。やなせたかし氏との親交も深く、倉崎CPは戸田恵子の起用について次のように語っています。
「まず制作初期の段階で、やなせさんを知る大切な関係者の一人として戸田さんを取材させていただいて。その時点で『戸田さんには是非、本編にご出演いただきたいと思っております』と我々チームの考えをお伝えしました。」
やなせ氏夫妻を描くドラマにとって、やなせ氏と縁の深い戸田恵子のキャスティングは、何としても実現したい目玉の一つでした。しかし、全体プロットを見ると、年代的に戸田恵子が自然にハマる主要キャラクターは意外に少なかったと言います。
そこで本打ち(台本打ち合わせ)を進める中で、女性代議士のアイデアが浮上しました。倉崎CPは、この設定が生まれた背景を説明します。「のぶが高知新報を辞めて上京を決意するには相当なモチベーションが必要で、のぶが心からリスペクトできる相手に『東京で仕事を手伝ってほしい』と誘われないといけません。女性代議士にすることで、戸田さんに演じていただくことができますし、より説得力も生まれます。それなら、のぶ以上のハチキン(土佐弁で『快活な女性』)なのでは?と人物像がどんどん膨らんでいって、戸田さんのご登場は『ここがベスト』と正式オファーをさせていただきました。」
さらに興味深いのは、中園ミホ氏が「あんぱん」の全登場人物に「アンパンマン」のキャラクターを“裏設定”として織り込んでいる点です。薪鉄子役の“裏設定”は、困っている人を放っておけない正義の味方「てっかのマキちゃん」でした。このキャラクターはやなせ氏の好物である鉄火巻きがモチーフとなっており、ドキンちゃんが弟子入りしたこともある人気キャラクターです。鉄子の行動に込められた“親心”は、のぶに「新聞記者に向いていない」と上京を促した「月刊くじら」編集長・東海林明(津田健次郎)と同様、愛弟子を敢えて突き放し、自立を促す思いが垣間見えます。
薪鉄子の解雇という決断は、のぶと嵩の夫婦が「逆転しない正義」を見つける旅に出るための、重要な転換点となりました。これから二人の物語がどのように展開していくのか、引き続き注目が集まります。