1945年8月15日の敗戦は、日本人に筆舌に尽くしがたい苦難をもたらした。特に、旧満州(現在の中国東北部)では、日ソ中立条約を一方的に破棄して侵攻してきたソ連軍の暴力に、多くの日本人、とりわけ女性たちが直面した。人間の尊厳が命と秤にかけられるという、想像を絶するような日々がそこにはあった。本記事では、敗戦直後の旧満州で起きた、日本人女性たちへの暴行や横暴な要求の実態を、彼女たちの悲痛な証言を通して深く掘り下げていく。これは、忘れ去られがちな歴史の一ページであり、戦争がもたらす極限の苦しみを現代に伝える貴重な記録である。
出口政江さんの証言:引き裂かれた帰国への道と深い心の傷
鶏寧での過酷な敗戦直後
出口政江さん(当時16歳)は、敗戦の年6月、旧満州の鶏寧(けいねい)にある軍人会館のタイピストとして着任しました。しかし、敗戦前の2カ月間は極めて困難な時期で、餓死者や病死者が相次ぎ、約300人いた日本人がわずか100人余りにまで激減するほどでした。
吉林市での恐怖の日々
敗戦後、捕らえられた日本人たちは吉林市日僑被俘管理所の地下室に閉じ込められました。そこでは昼夜を問わずソ連兵の暴行に怯える日々が続き、日本人会長は私たちを守ろうとして刺殺されるという悲劇も起きました。この時期の経験は、今も出口さんの心に深い影を落としています。
錦州への苦難の道のり
金銭的余裕のある人々は、日本への帰国を目指して渤海湾に面した錦州(きんしゅう)へと向かいました。しかし、そこでもソ連兵による「検査」と偽った暴力や乱暴が横行し、多くの女性たちが自らの身を守るため、あるいは絶望から海中に身を投げるという悲しい選択をしました。
奉天での悲劇の連鎖と深い心の震え
日本への帰国が叶わず、一行は奉天(現在の瀋陽)市に引き返しました。しかし、ここでも婦女への暴行は毎日続き、建物の中には泣き叫ぶ声が響き渡り、連日多くの死者が出たといいます。出口さんは、今でもソ連兵の残忍な顔を思い出すと、全身が震えると語っています。この経験は、彼女の心に消えることのない傷として刻まれました。
旧満州でのソ連軍による侵攻と日本人女性への暴行、苦難を象徴するイメージ画像
国民党軍による新たな苦難と苦渋の選択
敗戦の翌年2月、ソ連兵が日本軍の捕虜を連れて引き揚げた後、入れ替わりに国民党軍が共産軍との戦いのために侵入し、再び戦争状態となりました。この混乱の中、大勢の日本人女性が殴られ、やむなく妓女とされていきました。出口さん自身も国民党軍の師団長に脅迫され、捕らわれの身となって乱暴されました。彼女は何度も逃げ出し、帰国を試みましたが、日本へたどり着くことができず、生き延びるために現在の中国人の夫と結婚するという苦渋の選択を強いられました。
祖国日本への思いと「忘れられた」痛み
残酷な45年という月日が流れ、出口さんは日本政府に帰国を申請しましたが、日本国としての責任ではないかのような冷淡な態度に直面しました。命がけで帰ろうとした祖国日本に、昨年2月、3カ月の一時帰国が許されました。これはボランティアや日中友好協会の人々の協力によるものでした。しかし、繁栄する日本で出口さんが目にしたのは、「日本人は過去の戦争をすっかり忘れている」という現実でした。日中十余年の戦争は、庶民に大きな犠牲を強いたにもかかわらず、その傷は未だに出口さんの心を深く引きずっています。
入江徳子さんの証言:悲痛な「婦女子の奉仕」と元慰安婦の犠牲
通化での終戦とソ連軍の噂
入江徳子さん(当時68歳、主婦)は、終戦を旧満州の通化市で迎えました。当時、チチハルやハルビン(黒竜江省)地方でのソ連軍の蛮行に関する流言飛語が広まっており、それがデマであってほしいと願いながら毎日を過ごしていたといいます。
ソ連軍駐屯下の日常
やがて通化市にも多数のソ連軍が駐屯司令部を置きました。これは関東軍が兵や物資を集積していたため、捕虜や軍需品輸送のためだったとされています。一応、上官の命令で家屋侵入や婦女暴行の禁止令はあったようですが、家屋侵入は日常茶飯事でした。しかし、この時点では婦女暴行の具体的な話はあまり耳にしなかったそうです。
日本人会への「婦女子の奉仕」要求
しかし、しばらくすると日本人会に対し、男子の使役と共に「婦女子の奉仕」が申し渡されるという事態が発生しました。敗戦の痛みに加え、人間としての恥辱まで甘受しなければならないという悲しい立場に置かれた日本人にとって、これは極めて重い問題でした。日本人会の代表者も、男子の使役は避けられないとしても、女子については相当悩まれたことでしょう。
元慰安婦たちの自己犠牲
その時、偶然にも元慰安婦だった女性たちが通化で足止めを食っていました。彼女たちは、他の日本人女性たちを救うために自ら犠牲になってくれたのです。その深い感謝の気持ちを表すため、私たちは大切にしていた訪問着や晴れ着などを、できる限り彼女たちに提供しました。彼女たちの自己犠牲によって、より多くの女性が守られたのです。
忘れてはならない歴史の教訓
出口政江さんと入江徳子さんの証言は、敗戦直後の旧満州における日本人女性たちが直面した想像を絶する苦難と、人間の尊厳が脅かされた現実を浮き彫りにします。ソ連軍による日ソ中立条約の破棄、そして日本人女性たちへの暴行、略奪、さらには国民党軍による新たな暴力。これらは戦争が個人の人生にもたらす破壊的な影響、特に最も弱い立場にある人々の人権がどれほど容易に蹂躙されるかを示しています。
彼女たちの体験は、単なる過去の出来事ではなく、現代社会においてもなお深く考えるべき歴史の教訓です。戦争の記憶を風化させず、その悲劇を次世代へと語り継ぐことは、二度と同じ過ちを繰り返さないために不可欠です。出口さんが感じた「繁栄の中で過去を忘れている日本」という言葉は、私たち一人ひとりが歴史と向き合い、未来への責任を果たすことの重要性を強く訴えかけています。この痛ましい証言は、平和の尊さを改めて認識させると同時に、戦争がもたらす悲惨な現実を決して忘れてはならないという、重いメッセージを私たちに投げかけています。
参考文献
- 朝日新聞社編『女たちの太平洋戦争』(朝日新聞出版)
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