【中国観察】北京原人発見から90年 「消えた頭蓋骨」は今も不明

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北京原人の化石が発掘された一帯に設けられた「周口店遺跡」の入り口に置かれた北京原人の胸像=12月8日、北京市房山区周口店(三塚聖平撮影)

北京原人の化石が発掘された一帯に設けられた「周口店遺跡」の入り口に置かれた北京原人の胸像=12月8日、北京市房山区周口店(三塚聖平撮影)

 中国の北京市郊外で「北京原人」の頭蓋骨の化石が発見されてから今月2日で90年を迎えた。考古学史上に残る大発見と世界を驚かせ、1987年には発掘場所が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録された。考古学研究で多くの発見をもたらした北京原人の化石だが、実物は日中戦争の最中に行方不明となっている。その行方をめぐって多くの仮説を生み、発見から90年を経た今も謎のままとなっている。(中国総局 三塚聖平)

■小さな洞穴の中で

 北京中心部から西南に約50キロ、車で1時間半余りの場所に位置する北京市房山区周口店。ここで北京原人の化石が見つかったのは、90年前の1929年12月2日のことだった。歴史的発見を成し遂げたのは、後に中国を代表する古人類学者となる裴文中(はい・ぶんちゅう)氏だ。

 中国新聞網の記事によると、北京大学を卒業して間もなかった裴氏は、周口店で行われていた発掘調査に補助的な仕事で参加していた。

 「小さな洞穴を見つけた」

 29年12月2日午後、裴氏は作業員からこのような報告を受けた。日暮れにも関わらず、縄を降ろして自ら確認に向かった。わずかな明かりを頼りに洞穴の中を辛抱強く調べていると、地面に半分埋まっている頭蓋骨を見つけた。これが北京原人が現代人の前に姿を見せた瞬間だった。

 北京原人の発見は世界的に注目され、その後に多くの骨や歯なども見つかって詳細な研究が進められた。ブリタニカ国際大百科事典によると、北京原人が暮らしていた年代は約77万年前から約23万年前まで。脳容量は約1000立方センチメートルで、これは現生人類とチンパンジーの間くらいだ。直立二足歩行が可能だったと思われている。

 だが現在、裴氏により見つけられた北京原人の頭蓋骨を見ることはできない。日中戦争のさなかに行方不明となってしまったからだ。当時作られた質の高い模型標本や、戦後に再開された発掘調査で発見された化石を使って研究が進められている。なお、戦後の発掘調査では裴氏が発見した頭蓋骨のようなものは見つかっていない。

■化石は2つの箱に入れられた

 戦争中に消えた北京原人の化石の行方は、歴史上の謎として、これまでに幾度となく話題となってきた。まずは、行方不明になった経緯を中国メディアの報道などを基に総合すると以下のようになる。

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