チリは、南米の豊かな天然資源と戦略的な地理的特性により、世界の主要国、特に中国からの注目を長年にわたり集めてきました。近年、中国はチリ経済において圧倒的な存在感を示し、その影響力は地元住民が日常的に消費する食材から、国の基幹産業、さらにはインフラに至るまで、深く浸透しています。この中国の「超長期戦略」は、地元の経済構造に変革をもたらす一方で、チリ国民の間には経済的依存と資源独占への懸念も生じています。本稿では、中国がチリでどのようにその経済的・政治的影響力を確立してきたのか、その戦略の深層と具体的な事例を掘り下げていきます。
チリ経済を席巻する中国:地元資源から主要産業まで
チリ南部の港湾都市プエルトモントでは、地元のホステルを営むエリーが、チリ産サーモンの価格高騰について懸念を口にしています。「地元の名産であるチリ・サーモンが中国人の買い占めでどんどん値上がりし、上質なサーモンが手に入らなくなった」と彼女は語ります。この現象は、チリの経済における中国の圧倒的な影響力を象徴しています。
データが示すように、チリの輸出先は中国が全体の40%を占め、米国16%、日本8%を大きく引き離し断トツのトップです。輸入においても中国は24%で最大の相手国となっています。チリの輸出の半分を占める銅をはじめ、リチウム、ワイン、チェリー、ぶどうといった主要産品の多くが中国向けであり、中国がチリ経済にとって最も重要な存在であることが明確に示されています。このような状況下では、地元住民が経済的な不満を抱いても、政府レベルで中国に異議を唱えることは極めて困難です。
イデオロギーを超越した中チリ関係の深化
中国とチリの間の関係は、その歴史において特異な深さを持っています。1970年、チリの社会主義政権であるアジェンデ政権は、南北アメリカ大陸で初めて中華人民共和国を承認しました。これは、翌1971年に中国が国連での代表権を獲得し、台湾が国連を脱退する歴史的転換点の直前の出来事でした。
しかし、その関係はイデオロギーを超えて発展します。1973年、チリではクーデターによりピノチェト軍事独裁政権が樹立され、1989年までその体制が続きました。共産主義国家である中国は、イデオロギー的には真逆であるはずのピノチェト政権に対しても、積極的に経済交流を図り、関係強化を推し進めました。
2005年には中国とチリの間で自由貿易協定(FTA)が締結され、経済連携が本格化。2012年にはチリが中国の「戦略的パートナー」に格上げされ、2016年には「包括的戦略パートナー」へとさらに強化されました。そして2019年には、チリが中国主導の巨大経済圏構想「一帯一路」に加盟し、アジアインフラ投資銀行(AIIB)にも参加。これら一連の動きにより、中国は2007年には従来の最大の貿易相手国であった米国を抜き、チリにとって最大の貿易相手国としての地位を確立しました。
米国の間隙を突く中国の南米戦略
中国がチリを含む南米地域での影響力を拡大できた背景には、米国の国際戦略における一時的な空白期間が大きく関与しています。2001年の同時多発テロ事件以降、米国はアフガニスタン侵攻、そして第二次湾岸戦争によるイラク侵攻へと、中東問題に国家の資源と注意力を集中させました。この戦争は2003年に終結したものの、アフガンやイラクにおけるイスラム過激派の跋扈により、米軍が2021年にアフガニスタンから完全に撤退するまで、実に20年もの歳月を費やすことになります。
米国が中東問題に忙殺されている間、中国は粛々と南米地域での権益確保に向けた地ならしを進めていました。2000年代初頭は、アルゼンチン、ボリビア、ブラジル、エクアドル、ベネズエラなどで反米的な左派政権が次々と誕生したいわゆる「ピンクの潮流」の時代でもありました。チリもこの時期は中道左派政権であり、米国が南米地域へ積極的に介入する動機が薄れていたことも、中国にとって有利に働きました。
主要産業における中国の影響力:具体的な事例
中国のチリにおける影響力拡大は、具体的な投資と買収によって顕著に示されています。
2005年には、中国企業がチリ国営銅会社(CODELCO)に対し、5億5000万ドルを前払いすることで、市場価格よりも有利な条件で銅の価格交渉権を獲得しました。銅輸出港アントファガスタの地元関係者の話によれば、トランプ政権による関税の影響で米国向け輸出が減少する分を中国が輸入できる状況は、「漁夫の利」であると認識されています。
中国企業がインフラ、電力、資源に投資する南米諸国の地図、チリにおける銅、リチウム、サーモン、港湾、道路、送電網への中国投資が示されている
チリは世界最大のリチウム埋蔵量を誇りますが、2018年には中国企業がチリのリチウム会社の株式の25%を取得しました。電気自動車大手BYDも2023年にはアントファガスタでのリチウム精錬事業の認可を受けましたが、その後の国際リチウム価格暴落を受けて2025年に断念しています。
さらに、2019年には中国企業がパタゴニア地方でサーモン養殖を行う水産会社を買収し、中国による市場支配力を一層強めました。インフラ建設分野でも、2020年以降、中国企業は高速道路、サンティアゴ市内地下鉄、国立病院といった大型プロジェクトを次々と受注しています。驚くべきことに、中国系電力会社がチリの電力会社の株式を次々に取得した結果、チリの総発電量の54%が中国系企業の支配下にあるとされています。
結論
中国がチリにおいて築き上げてきた経済的・地政学的な影響力は、単なる貿易関係を超えた、計算され尽くした長期戦略の成果です。歴史的な関係の深さ、米国の地政学的関心の転換、そしてチリの主要産業への戦略的な投資を通じて、中国は南米における自国の地位を確固たるものにしました。この関係は、チリ経済に恩恵をもたらす一方で、地元住民の生活への影響や、国家としての経済的自立性への懸念も引き起こしています。今後、国際情勢が変化する中で、チリと中国の関係がどのように進化していくのか、そしてそれが南米全体の地政学的バランスにどのような影響を与えるのか、引き続き注視が必要です。
参考文献
- Wedge Online. 「アルゼンチン・チリを席捲する中国の存在感『観光客と中国雑貨だけではない。基幹産業を支配する中国の超長期戦略』(後半)」. 2025年2月9日. https://wedge.ismedia.jp/articles/38671