山口県宇部市の沖合、海底深く眠る長生炭鉱の現場で、1942年の水没事故の犠牲者とみられる頭蓋骨が83年ぶりに発見されました。韓国人ダイバーによる4時間にわたる決死の探索の結果、完全に保存された遺骨が引き上げられ、日帝強占期に強制動員された朝鮮人労働者たちの悲劇が再び光を浴びています。この歴史的な発見は、過去の痛ましい出来事を記憶し、未来へと継承する上で極めて重要な意味を持ちます。
山口県宇部市の長生炭鉱水没事故現場で発見された、1942年犠牲者のものと推定される頭蓋骨
長生炭鉱水没事故の悲劇と強制動員された朝鮮人労働者
長生炭鉱は、かつて船の音が頭上をかすめるほど危険な環境で採掘が行われ、「朝鮮炭鉱」と称されるほど多くの朝鮮人労働者が強制動員されていた場所です。行政安全部傘下の日帝強制動員被害者支援財団によると、この炭鉱には1258人もの朝鮮人が動員されたと記録されています。1942年2月、坑道に海水が漏れ出したことで大規模な水没事故が発生し、計183人が犠牲となりました。このうち約74%にあたる136人が朝鮮人労働者であったとされています。事故現場となった、巨大な円形のコンクリート製換気口「ピーヤ」は、何十年もの苔と色褪せたペンキに覆われ、遺骨となった犠牲者たちの待ち続けた時間の長さを物語るかのように、見る者に深い恐怖と悲しみを与えます。
長生炭鉱の海底で発見され公開された犠牲者のものと推定される頭蓋骨
83年間の探査と遺骨発見の経緯
日本の市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会(刻む会)」は、長年にわたり遺体発掘作業を続けてきました。昨年10月には、海岸に埋もれていた坑口を82年ぶりに発見。しかし、坑口周辺の崩落が進み、潜水作業の安全確保や活動資金の調達が困難を極め、遺骨発掘は難航していました。しかし、今年8月8日にはピーヤから本坑道へと繋がる新たな進入路が発見され、状況は一変します。そして25日の水中探査準備作業中に、犠牲者のものとみられる3点の骨が発見されたのに続き、26日には人の骨と明確に確認できる頭蓋骨が引き上げられました。この水中調査を支援した日本人潜水チームは、「日本の海で韓国人ダイバーが、つらい過去を持つ海底炭鉱の犠牲者の遺骨を発見したことは特別な意味がある」と述べ、80年以上が経過しても遺骨が閉鎖空間で良好に保存されていたことに期待を示しています。
韓国人ダイバーが長生炭鉱水没事故現場から頭蓋骨(緑の箱内)を引き上げる様子
作業服の発見と身元特定の可能性
今回の潜水作業にあたった韓国人ダイバーは、頭蓋骨の発見と収拾に加え、「長靴の中に入っている別の遺骨」や、「作業服を着ているとみられる遺体」も確認したと報告しています。もし作業服が収拾されれば、DNA鑑定を待たずに朝鮮人犠牲者の身元特定が早期に進む可能性が高まります。アジア平和と歴史研究所のハン・ヘイン研究委員は、当時の長生炭鉱の労働者の服には番号が記されていた記録があることに言及し、作業服が発見されれば朝鮮人犠牲者の確認が加速するとの見通しを示しました。これは、遺族にとって長年の願いが叶う重要な手がかりとなり得ます。
山口県宇部市にある長生炭鉱の換気口「ピーヤ」の全景
遺族への追悼と日本政府への収拾要請
遺骨発見の知らせを受け、長生炭鉱のある床波海岸には、犠牲者を悼む花輪と白い布で覆われた祭祀台が設けられ、陸に戻ってきた魂を慰める場が用意されました。「刻む会」が遺族を迎え、在日本大韓民国民団と在日本朝鮮人総連合会(総連)の関係者も同席し、日帝強占期に犠牲となった方々への人道主義的観点からの連帯を示しました。「刻む会」の井上洋子代表は、「今回の発掘で、炭鉱労働者の遺骨であることが事実上確認された以上、日本政府は遺体や遺骨の収拾に積極的に関与すべきだ」と強く要請。さらに、韓国政府に対しても数年前から遺骨収拾への支援を求めてきたことを明らかにし、両政府が協力して犠牲者を故郷に送り届けることを訴えました。
今回の長生炭鉱における遺骨の発見は、過去の歴史と向き合い、犠牲となった人々の尊厳を取り戻すための重要な一歩です。日本政府は、この歴史的かつ人道的な問題に対し、真摯に向き合い、韓国政府と協力して遺骨収拾に積極的に関与することが強く求められています。これにより、長きにわたり待ち続けた犠牲者と遺族にようやく安息がもたらされることでしょう。
参考文献:
- Hani.co.kr (Source link: https://news.yahoo.co.jp/articles/89e4d8876b55ac53adca3423b2c86faf62916a57)